日本歴史地名大系 「徳島村」の解説 徳島村とくしまむら 福岡県:三池郡高田町徳島村[現在地名]高田町徳島江浦町(えのうらまち)村の北と西、矢部(やべ)川下流の飯江(はえ)川との合流点下流左岸に形成された新田村落。明治初年までは山門(やまと)郡島堀切(しまほりきり)村・中島(なかしま)村(現大和町)に属していたが、明治九年(一八七六)島堀切村内堀切名と中島村内徳永(とくなが)が合併して徳島村が成立した。矢部川河口左岸は江戸時代を通じて小規模な干拓地が多数造成された所で、徳島内の字地名には庄九郎(しようくろう)開・問注所(もんじゆうしよ)開・蒋野(こもの)(薦野)開・南大百姓(みなみおおびやくしよう)開・西(にし)開・南中(みなみなか)開・北(きた)開・崇勝寺(そうしようじ)開・徳永開・外古(そとこ)開・安政(あんせい)開などがある。徳永開は慶長五年(一六〇〇)田中吉政に伴って柳川に来た近江の商人徳永伯庵が開発したといわれ、寛永年間(一六二四―四四)までに干拓されていた。 徳島村とくしまむら 埼玉県:三郷市徳島村[現在地名]三郷市鷹野(たかの)・新和(しんわ)長戸呂(ながとろ)村の南に位置し、南は樋口(ひのくち)村。「風土記稿」ではもとは高須(たかす)村の内で、元禄(一六八八―一七〇四)の頃に分村したとしているが、延宝八年(一六八〇)の徳島新田屋敷検地帳(増田家文書)の奥書には寛文一二年(一六七二)に江戸町人徳島屋秀典・本所久太夫が樋口村の萱野二八町歩余の新田開発を請負い、年々運上米永を上納していたが、延宝八年の暮れに出願して検地を受けたとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by