日本歴史地名大系 「忍頂寺五ヶ庄」の解説
忍頂寺五ヶ庄
にんちようじごかのしよう
寺辺村は仁治二年(一二四一)一一月日付の忍頂寺寺辺村所当米散用状(仁和寺文書)によれば本田一六町四反余で、河成荒田と地元寺庵田などの除田が一町二反余あり、定田一五町一反余であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
寺辺村は仁治二年(一二四一)一一月日付の忍頂寺寺辺村所当米散用状(仁和寺文書)によれば本田一六町四反余で、河成荒田と地元寺庵田などの除田が一町二反余あり、定田一五町一反余であった。
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