佐保村(読み)さほむら

日本歴史地名大系 「佐保村」の解説

佐保村
さほむら

[現在地名]茨木市佐保

茨木川上流佐保川中流域にあり、梅原うめはら屋上やがみ神合じごう馬場ばばしようもと免山めざんの諸集落からなる。中世は京都仁和寺領忍頂寺五ヶ庄にんちようじごかのしように属した。建長六年(一二五四)一一月二七日付の沙弥真覚田地売券案(勝尾寺文書)に「忍頂寺佐保村内字蛭田」の田一反のことがみえ、康正三年(一四五七)七月二日付の仁和寺入道無品親王庁宣(仁和寺文書)には「佐保田拾五町廿代」とあり、当時の村内の畝数が知られる。村内には名としては規模の大きい有安名があり、忍頂寺五ヶ庄の成立を考えるうえで注目されている(→忍頂寺五ヶ庄。庄ノ本の集落北にあるしろ山は城跡とみられ、巨石石積みが残る。また「大阪府全志」は佐保城跡として「東方栗栖くるす山の半腹にあり、東西九拾間・南北百弐拾間余、回字形を為し、土堤尚存して歴々見るべし」と記すが、詳細は不明。クルス山は馬場集落南東にあり、山頂の城跡といわれているところは「元墓」とよばれ、付近には「三昧谷」「花折谷」の地名が残っている。


佐保村
さほむら

[現在地名]豊玉町佐保

仁位浅海にいあそうの中ほどから西に湾入した深い佐保浦に臨む。村の背後(北西)の山を越えると西海にしめに出ることから、両面に海をもつことになる。天保郷帳では佐保村と記されるが、狭浦(サホ)が地名の意ともいう(津島紀事)。浦の沿岸に唐船とうせん赤崎あかさき(卯麦地区)黒木くろき鈴江すずえ・イノサエ・唐崎とうざき・シゲノダンなど弥生時代の遺跡が多い。唐船には弥生時代後期から古墳時代にかけての石棺群があったらしく、多数の土器片・板石が散布していた。黒木では多数のガラス小玉と剣鞘の金具が出土、天神では美麗な磨製石斧・土器片が出たが、弥生時代中期の土器表面から籾の圧痕が検出され、対馬の稲作をうかがわせる貴重な史料となった。


佐保村
さほむら

[現在地名]大和町大字いけうえ字佐保

近世にこの地域周辺一帯をさす佐保川島そうこうじま郷は佐保村にちなんでいる。於保おほ村南東にある水田地域で、嘉瀬かせ川の西の堤防に接する。

兵動氏が永享年間(一四二九―四一)に佐保村に居を構え、兵動ひようどう八幡宮を勧請したと伝えられる。兵動光明は佐保・楢田ならだ・池上などで九〇町余を領して竜造寺隆信に仕えたが、天正一二年(一五八四)隆信とともに島原しまばら(現長崎県)で戦死した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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