忍頂寺(読み)にんちようじ

日本歴史地名大系 「忍頂寺」の解説

忍頂寺
にんちようじ

[現在地名]茨木市忍頂寺

竜王りゆうおう山の南麓にある。高野山真言宗、賀峰山寿命院と号し本尊薬師如来。かつては二三の寺坊を有する大寺院であったと伝えるが盛衰を繰返し、一支院であった寿命じゆみよう院が法灯を継いで現在に至ったと考えられる。忍常寺・仁定寺とも書くので「にんじょう寺」ともいったようである。また古くは竜王山頂にあったとも伝える(摂津志)。「三代実録」貞観二年(八六〇)九月二〇日条に、僧三澄が国家鎮護のため摂津国島下しましも郡に「神岑山寺」を建立、春は最勝王経、秋は法華経の講説を行ったが、清和天皇より「忍頂寺」の寺号を賜り、勅願寺となったとある。三澄は生没年不詳であるが大乗経典を学び、檀波羅蜜(布施行)をよく行ったという(本朝高僧伝)。保安元年(一一二〇)の摂津国正税帳案(九条家冊子本中右記裏文書)は必ずしも当時の実情を記したものではないが、加挙本稲五〇〇束、すなわち正税出挙に五〇〇束を加挙した利稲が給されることとされており、創建後まもなく国家の援助があったものとみられる。

一二世紀初頭に三善為康が記した「拾遺往生伝」に、忍頂寺の僧源因はあらかじめ死期を知ろうとして永年念仏を修し、夢想で示された死の年の大晦日に僧房の火事があったが、炎の中で念仏を唱えながら往生したとある。このような伝承は平安時代、忍頂寺に念仏によって往生を願う浄土信仰の影響を強く受けた僧侶たちがいたことを示すものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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