日本歴史地名大系 「福井庄」の解説
福井庄
ふくいのしよう
〔領主の変遷〕
「台記別記」仁平三年(一一五三)八月八日条によると、藤原頼長(藤原氏の長者)の奈良春日社詣に際し福井御庄は屯倉三具を割当てられている。この福井庄を摂津国に比定する説もあるが、当時頼長は播磨国
〔神護寺による支配の推移〕
後白河院は本所職を留め、神護寺は領家職を有したと思われるが、まもなく後白河院領太田庄の領家で院の寵臣橘定康が同庄内の
福井庄
ふくいのしよう
福井庄
ふくいのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報