志久見川(読み)しくみがわ

日本歴史地名大系 「志久見川」の解説

志久見川
しくみがわ

毛無けなし(一六五〇メートル)大次郎おおじろ(一六六二メートル)間、烏帽子型えぼしがた北西源流とする坪野つぼの川と、大次郎山と三ッ山みつやま(一六一〇メートル)間を源流とする北野きたの川とが北野合流、志久見川となり、鳥甲とりかぶと(二〇三七メートル)北面を源流とするかま川を長瀬ながせで合流、真北に流れ雪坪ゆきつぼで千曲川に合流する。釜川下流のみは現新潟県に属する。

川は信濃国と越後国両国の国境にあたるため、古くから境をめぐる争いがあった。元亨元年(一三二一)市河盛房自筆譲状(市河文書)に「志久見河」と初見(→雪坪

南北朝時代足利党に属した高井郡北部の土豪市河氏は新田一族の拠点越後魚沼うおぬま地方と境を接し、国境の守備を固めていたが、建武四年(一三三七)市河親宗らが越前かなさき戦に加わり、新田義貞らを滅ぼした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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