日本歴史地名大系 「鴨部下庄村」の解説 鴨部下庄村かべしものしようむら 香川県:大川郡志度町鴨部下庄村[現在地名]志度町鴨庄(かもしよう)小串(こぐし)岬と大串(おおぐし)岬に抱かれた鴨庄湾に面する。単に下庄村ともいう。西は天野(あまの)峠で志度村と接し、東は日盛(ひもり)山(一八二・八メートル)で小田(おだ)村と境する。中央部を鴨部川が貫流し、鴨庄湾の西寄りに河口を開く。海辺に沿って漁業集落が発達し、鴨部川流域で農業が営まれる。山脇(やまわき)古墳などの小円墳がある。「和名抄」寒川(さんがわ)郡鴨部(かも)郷の地に比定される。宝亀一一年(七八〇)一二月二九日の西大寺資財流記帳(西大寺文書)にみえる大和西大寺領「寒川郡塩山」は当地および小田村付近であると考えられている。しかし建久二年(一一九一)五月一九日の西大寺領庄園注進状案(同文書)の顛倒庄々のなかに「寒川郡鴨郷」の墾田地二町、畠四三町五段一三九歩、塩山二五〇町、塩釜一面が記されており、西大寺領鴨部郷はこの頃までに退転し、以後史料にあらわれない。かわって平安末期には山城石清水(いわしみず)八幡宮領鴨部庄が成立した。寛喜二年(一二三〇)正月日の宗清置文(石清水文書)にみえる鴨部庄内下庄、淵(岩淵か)、小方(おがた)、長浜(ながはま)、室岐(むろき)(室沖)、久方(白方か)の地名が地内に比定される。戦国時代に寒川氏の武将佐藤与左衛門が小方城に拠ったと伝える(志度町史)。寛永国絵図は中筋(なかすじ)・西山(にしやま)・東山・河北(かわきた)・小田・小潟(おがた)(小方)・長浜・下庄を鴨部庄とし、高二千七五一石余とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by