志度の東寄りの海浜にある。補陀落山清浄院と号し、真言宗善通寺派。本尊木造十一面観音、脇士不動明王・毘沙門天はともに国指定重要文化財。四国霊場八十八ヵ所の第八六番札所で、御詠歌は「いざさらば今宵はここに志度の寺祈りの声を耳にふれつつ」。寺域約一万坪で、東讃随一の大寺である。寛永国絵図には高松城下から当寺の門前に至り、さらに八七番札所
鎌倉末期の成立とみられる志度寺縁起(国指定重要文化財)によると、推古天皇三三年薗子尼(智法)が志度浦に流れ着いた霊木で十一面観音像を作り、一間四面の精舎を建てて安置したのが草創と伝える。天武天皇一〇年(六八一)、藤原不比等は契りを交わした志度の海女が、子房前のために海中の竜神から玉を取返そうとして死んだので、海浜の小堂の傍らに海女を葬り、その菩提を弔うため墓に精舎を建立し、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
香川県さぬき市志度にある真言(しんごん)宗御室(おむろ)派の寺。補陀落山(ふだらくさん)清浄院(しょうじょういん)と号する。本尊は十一面観音。四国八十八か所第86番札所。寺伝によると、創建は推古(すいこ)天皇(在位593~628)の時代に園子(智法尼)が刻ませた十一面観音(かんのん)像を安置する精舎(しょうじゃ)を建てたのに始まり、藤原不比等(ふひと)・房前(ふささき)らによって興隆されたという。天正(てんしょう)年間(1573~92)兵火により焼失したが、1604年(慶長9)以後、高松藩主生駒(いこま)氏の帰依(きえ)を受けて再興。また1667年(寛文7)同藩主松平頼重(よりしげ)が諸堂を造営し、近世には荘厳な景観を誇り、東讃岐(さぬき)の名刹(めいさつ)となった。本尊の木造十一面観音像・両脇侍(わきじ)立像のほか、絹本着色十一面観音像、志度寺縁起図絵6幅など国の重要文化財がある。縁起には藤原不比等と海女(あま)の伝説を伝え、謡曲『海士(あま)』の題材となった。境内には海女の供養塔、曲水式回遊庭園、枯山水庭園がある。7月16日の十六度市(いち)には本尊が開帳され、近郷の人でにぎわう。
[眞柴弘宗]
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