「ハチ」という名前は、飼い主の
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秋田犬。出生(1923)の翌1924年から東京帝国大学農学部教授上野英三郎(うえのひでさぶろう)(1871―1925)に飼われて、朝夕山手(やまのて)線渋谷駅に教授を送迎し、1925年(大正14)の教授の死後もその姿を求めて、死ぬ(1935)まで渋谷駅を離れなかったという。東京・青山の上野家墓地に葬られたが、剥製(はくせい)は上野の科学博物館にある。1934年(昭和9)渋谷駅西口広場に安藤照(しょう)(1892―1945)制作の銅像が建てられたが、第二次世界大戦中の1945年(昭和20)4月、戦力資源としての金属回収のため撤去された。戦後の1947年8月、照の息子士(たけし)(1923―2019)の手により再建されて、若者たちはじめ人々の待ち合わせの目印ともなっている。
[佐藤農人]
…1911年に闘犬が禁止され衰退したが,大正から昭和にかけて性格や体軀(たいく)の育種改良が加えられ,現在の素朴で重厚な堂々たる体軀,しかも温和なイヌが完成され,31年に天然記念物に指定された。東京の渋谷駅頭に主人の帰りを待ち続け,35年3月に死亡して銅像になった〈忠犬ハチ公〉は秋田犬の象徴である。日本犬【一木 彦三】。…
…反面,下総牧羊場での御雇外国人は,日本の犬を〈忌ミ嫌フベキ悪犬〉としてその指導下に大量の犬を捕殺させた。以後,日本在来犬は急速に西洋犬と交雑したため,1928年に発足した日本犬保存会などによる日本犬復元運動が起こり,34年銅像が建てられた忠犬ハチ公の美談も,この運動に一役を演じた。だが第2次世界大戦中にも,保存さるべき犬の抹殺の動きもあった。…
…また農事試験場の農具部門の設立を援助,臨時治水調査委員として利水の重要性を強調した。なお有名な〈忠犬ハチ公〉は彼の愛犬であった。主著《耕地整理講義》(1905)。…
※「忠犬ハチ公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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