忠犬ハチ公(読み)チュウケンハチコウ

デジタル大辞泉 「忠犬ハチ公」の意味・読み・例文・類語

ちゅうけん‐はちこう【忠犬ハチ公】

東京帝大教授上野英三郎の飼い犬ハチのこと。主人死後も渋谷駅前でその帰りを待ち続けたという。昭和初期に美談として話題になった。

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共同通信ニュース用語解説 「忠犬ハチ公」の解説

忠犬ハチ公

「ハチ」という名前は、飼い主の上野英三郎うえの・ひでさぶろう氏が付けた。東京・渋谷駅前に銅像が建立されたのは1934年。その後、第2次世界大戦による金属類回収で供出され、現在の像は2代目になる。87年に「ハチ公物語」として映画化。米国でも映画のモチーフになり、俳優リチャード・ギアさんが主演した。生誕100年に当たり、生まれ故郷の秋田県大館市とハチ公が育った東京都渋谷区はプロジェクト展開。さまざまなイベントを開催してきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「忠犬ハチ公」の意味・わかりやすい解説

忠犬ハチ公
ちゅうけんはちこう

秋田犬出生(1923)の翌1924年から東京帝国大学農学部教授上野英三郎(うえのひでさぶろう)(1871―1925)に飼われて、朝夕山手(やまのて)線渋谷駅に教授を送迎し、1925年(大正14)の教授の死後もその姿を求めて、死ぬ(1935)まで渋谷駅を離れなかったという。東京・青山の上野家墓地に葬られたが、剥製(はくせい)は上野の科学博物館にある。1934年(昭和9)渋谷駅西口広場に安藤照(しょう)(1892―1945)制作の銅像が建てられたが、第二次世界大戦中の1945年(昭和20)4月、戦力資源としての金属回収のため撤去された。戦後の1947年8月、照の息子士(たけし)(1923―2019)の手により再建されて、若者たちはじめ人々の待ち合わせの目印ともなっている。

[佐藤農人]

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世界大百科事典(旧版)内の忠犬ハチ公の言及

【秋田犬】より

…1911年に闘犬が禁止され衰退したが,大正から昭和にかけて性格や体軀(たいく)の育種改良が加えられ,現在の素朴で重厚な堂々たる体軀,しかも温和なイヌが完成され,31年に天然記念物に指定された。東京の渋谷駅頭に主人の帰りを待ち続け,35年3月に死亡して銅像になった〈忠犬ハチ公〉は秋田犬の象徴である。日本犬【一木 彦三】。…

【イヌ(犬)】より

…反面,下総牧羊場での御雇外国人は,日本の犬を〈忌ミ嫌フベキ悪犬〉としてその指導下に大量の犬を捕殺させた。以後,日本在来犬は急速に西洋犬と交雑したため,1928年に発足した日本犬保存会などによる日本犬復元運動が起こり,34年銅像が建てられた忠犬ハチ公の美談も,この運動に一役を演じた。だが第2次世界大戦中にも,保存さるべき犬の抹殺の動きもあった。…

【上野英三郎】より

…また農事試験場の農具部門の設立を援助,臨時治水調査委員として利水の重要性を強調した。なお有名な〈忠犬ハチ公〉は彼の愛犬であった。主著《耕地整理講義》(1905)。…

※「忠犬ハチ公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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