麻生太吉(読み)あそうたきち

改訂新版 世界大百科事典 「麻生太吉」の意味・わかりやすい解説

麻生太吉 (あそうたきち)
生没年:1857-1933(安政4-昭和8)

炭鉱経営者。福岡県に生まれ,1872年(明治5)から炭鉱経営にあたり,84年鯰田で近代的炭鉱の開発着手し,以後炭鉱を売却しつつ経営基盤の拡張につとめた。89年鯰田鉱を三菱に,94年忠隈鉱を住友に,1907年藤棚(本洞)鉱を三井にそれぞれ売却,1891年山内,94年上三緒,1901年豆田,06年綱分,09年吉隈,13年赤坂などの炭鉱を開坑し,貝島,安川・松本とともに筑豊御三家と称された。石炭販売は1899年ころから三井物産に委託していたが,1917年ころから直接販売をめざした。18年株式会社麻生商店を設立し,傘下の事業を統合し,販売部門も強化した。また,1908年には嘉穂電灯会社を創立し,後に九州水力電気会社など電力事業界の推進役となる。33年セメント製造業に進出し,産業セメント鉄道株式会社を設立するなど,事業多角化の基礎をきずいた。この間,筑豊石炭鉱業組合総長(1911-19),石炭鉱業連合会会長(1921-33)となり,また代議士1期(1899-1902),貴族院議員2期(1911-25)をつとめた。
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20世紀日本人名事典 「麻生太吉」の解説

麻生 太吉
アソウ タキチ

明治〜昭和期の実業家,政治家 九州水力電気社長;麻生商店社長。 石炭王。



生年
安政4年7月7日(1857年)

没年
昭和8(1933)年12月8日

出生地
筑前国(福岡県)

別名
幼名=鶴次郎

経歴
若くして立岩村戸長などに推され、明治5年父賀郎と共に石炭採堀に従事。13年炭坑事業を始め、17年鯰田炭坑を経営、麻生商店を創設、忠隈坑、木洞坑も増設し社長に就任。しかし恐慌と災害、資本不足で炭坑を売却、独自の販売機関を設けて苦境を乗り切り、石炭王と呼ばれ、石炭鉱業連盟会長に推された。また41年には嘉穂電燈会社、九州水力電気を創設し社長となり、九州財界に重きをなした。32年には衆院議員に当選、44年と大正7年貴院議員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「麻生太吉」の意味・わかりやすい解説

麻生太吉
あそうたきち
(1857―1933)

実業家。福岡県生まれ。父に従い炭鉱業に着手、「程度大切」を信条に、麻生商店(麻生セメントの前身)を筑豊(ちくほう)御三家と称される土着有力鉱業会社に育て上げた。また、嘉穂(かほ)銀行(1896)、嘉穂電灯(1908)、九州産業鉄道(1919)などを設立して経営多角化を推進し、炭鉱、電力、鉄道業を軸に一代で九州財界に確たる地位を築いた。この間、衆議院議員、貴族院議員、筑豊石炭鉱業組合総長、石炭鉱業連合会会長などの要職を歴任した。

[畠山秀樹]

『泉彦蔵著『麻生太吉伝』(1934・第一書房)』『麻生太吉伝刊行会『麻生太吉翁伝』(1935)』『麻生百年史編纂委員会編『麻生百年史』(1979)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「麻生太吉」の解説

麻生太吉 あそう-たきち

1857-1933 明治-昭和時代前期の実業家。
安政4年7月7日生まれ。麻生太賀吉の祖父。明治5年生地の福岡県筑豊地方で石炭採掘事業をはじめ,次々と炭鉱を開発。安川敬一郎,貝島太助と筑豊御三家とよばれた。麻生商店を中核に電力,鉄道,セメントなど多角的に事業を展開した。32年衆議院議員,44年貴族院議員,大正10年石炭鉱業連合会会長。昭和8年12月8日死去。77歳。

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367日誕生日大事典 「麻生太吉」の解説

麻生 太吉 (あそう たきち)

生年月日:1858年7月7日
明治時代-昭和時代の実業家;政治家。九州水力電気社長;衆議院議員
1933年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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