デジタル大辞泉
「住友吉左衛門」の意味・読み・例文・類語
すみとも‐きちざえもん〔‐キチザヱモン〕【住友吉左衛門】
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すみとも‐きちざえもん【住友吉左衛門】
- ( 大坂の豪商、住友家当主の名。三代友信以後は代々吉左衛門を名のる ) 四代。名は友芳。友信の子。元祿四年(一六九一)伊予別子銅山の開坑に成功、江戸時代を通じて日本最大の銅鉱業を開く。また、江戸および大坂の貨幣鋳造の事務管理なども行ない、後の住友財閥の基礎を築いた。寛文一〇~享保四年(一六七〇‐一七一九)
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住友 吉左衛門(15代目)
スミトモ キチザエモン
明治・大正期の実業家,男爵 住友家第15代当主;住友合資会社社長。
- 生年
- 元治1年12月21日(1865年)
- 没年
- 大正15(1926)年3月2日
- 出生地
- 京都
- 本名
- 住友 友純(スミトモ トモイト)
- 旧姓(旧名)
- 徳大寺
- 別名
- 幼名=隆麿,号=住友 春翠(スミトモ シュンスイ),知足斎,知不足
- 学歴〔年〕
- 学習院法律撰科〔明治25年〕中退
- 経歴
- 公家徳大寺家の六男として生まれ、明治25年住友登久の養嗣子となり、26年15代吉左衛門を継ぎ、友純と称す。別子銅山を基礎に、28年住友銀行を創設して金融界に進出。32年倉庫業を開始。大正10年住友総本店が合資会社となると社長に就任。14年信託業務を開始、貿易・機械・電線などにも事業を拡張、住友を三井、三菱と並ぶ三大財閥の1つに発展させた。また、明治33年には皇居前広場に「楠公銅像」の建立を果たし、大阪図書館(大阪府立中之島図書館)の創設など公共施設の寄付にも熱心であった。中国古銅器の収集家としても知られ、そのコレクションは泉屋博古館(京都市)で公開されている。44年男爵。
住友 吉左衛門(16代目)
スミトモ キチザエモン
昭和・平成期の実業家,歌人 住友家第16代当主;住友本社社長。
- 生年
- 明治42(1909)年2月20日
- 没年
- 平成5(1993)年6月14日
- 出身地
- 大阪府大阪市
- 本名
- 住友 友成(スミトモ トモナリ)
- 別名
- 幼名=厚,筆名=泉 幸吉
- 学歴〔年〕
- 京都帝大文学部史学科〔昭和8年〕卒
- 経歴
- 大正15年3月17歳で16代吉左衛門を継ぎ、住友家当主となり、住友合資会社代表社員・社長に就任。昭和12年株式会社に改組し、第二次大戦後の財閥解体まで住友本社社長を務めた。戦前から日常業務は総理事が執っていたが、戦後は一切の役職につかず、“象徴”として住友グループを束ねた。21年には長女が誘拐され大きな話題となる。また、斎藤茂吉に短歌を師事し、アララギ派に所属。自然を題材にした歌が多く、歌集に「雲光」などがある。元男爵。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
住友吉左衛門
すみともきちざえもん
大坂の豪商住友家当主の通称。近世前期3代友信(とものぶ)(1647―1706)が吉左衛門を称して以来、多くこの称が用いられた。友信は友以(とももち)(通称理兵衛(りへえ))の第5子で、東北、中国地方の銅山開発にも手を広げ、家業はいっそう栄えた。その子4代友芳(ともよし)も吉左衛門を称し、この代に伊予別子(べっし)銅山が発見開発された。5代友昌(ともまさ)、6代友紀(とものり)と吉左衛門襲名が続いたが、7代友輔(ともすけ)は万次郎のち万十郎を、8代友端(ともただ)は吉次郎を、9代友聞(ともひろ)は吉次郎のち甚兵衛を、10代友視(ともみ)、11代友訓(とものり)はともに吉次郎を称した。明治維新後12代友親(ともちか)がふたたび吉左衛門を称してから、13代友忠(ともただ)が続き、14代は友親夫人登久(とく)が継いだが、15代友純(ともいと)(西園寺公望(さいおんじきんもち)実弟)は旧公卿(くぎょう)徳大寺家から入り、吉左衛門を称した。16代友成(ともなり)、現当主17代芳夫も吉左衛門を称している。
[川崎英太郎]
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住友吉左衛門
すみともきちざえもん
[生]正保4(1647)
[没]宝永3(1706).大坂
江戸時代前期~中期,住友家第3代の当主。名は友信。蘇我家から住友家に入った理兵衛の第5子。この第3代から住友家当主は代々吉左衛門を襲名した。友信は銅の採鉱,製錬に特に意を用い,天和1 (1681) 年に備中国吉岡銅山 (岡山県) ,翌2年には出羽国幸生 (さちゅう) 銅山 (山形県) の経営に着手,住友家の銅山経営の端緒を開いた。また友信は幕府御用銅山師として重きをなしたが,この時期の銅山経営は順調でなく,第4代友芳の別子銅山開坑の成功によって初めて経営面でも安定した。以後,銅山経営は住友家隆盛の基礎となり,住友財閥形成の機軸となった。
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百科事典マイペディア
「住友吉左衛門」の意味・わかりやすい解説
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世界大百科事典(旧版)内の住友吉左衛門の言及
【住友家】より
…近世の商家。[住友財閥]の前身。住友家は,2代友以(とももち)が京都で銅商泉屋を興し,1620年代から大坂を本拠として銅の精錬・輸出と外国品の輸入という家業の基礎を固め,3代友信,4代友芳の時代に諸銅山の稼行,江戸・長崎出店の設置,両替・為替業へ進出して,隆盛期を迎えた。また事業上の担保として家屋敷数十ヵ所を所有するとともに質地の流れ込んだ山本新田などの田畑を経営し,幕末には別子銅山の近辺で飯米用の新田を開発した。…
【徳大寺家】より
…その男則麿は父功により別家して男爵を授けられた。なお,公爵西園寺公望,男爵住友吉左衛門は実則の実弟である。【今江 広道】。…
※「住友吉左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」