息障院(読み)そくしよういん

日本歴史地名大系 「息障院」の解説

息障院
そくしよういん

[現在地名]吉見町御所

御所ごしよ東部、荒川河川敷の西側に広がる田園地帯にあり、県立比企丘陵自然公園に隣接する。岩殿山と号し、真言宗智山派。本尊は不動明王。寺伝によると大同二年(八〇七)坂上田村麻呂が七堂伽藍を建立したことが草創で、天慶年中(九三八―九四七)には平将門の乱に際して、将門調伏を祈って功があり、院号を勅許されたという。この縁起は当院北西方に位置する岩殿いわどの(吉見)観音安楽あんらく寺の縁起と同様で、これは当院が古く同観音別当であったことによる。一方、現境内は源範頼の館跡であったとも伝えられ、範頼および範頼末裔を称した吉見氏との関係が深かったことをうかがわせる。検討の余地は残されるが範頼の息吉見範国とされる当院三位大僧都に宛てた建久五年(一一九四)三月二〇日の伝藤原宗隆院号許可状写、および同年九月二〇日の伝源頼朝寄進状写などを伝える。中世には慈猛流(山城醍醐寺三宝院流支派)の有力寺院として勢力を拡大した。世代譜(寺蔵、以下断りのない限り寺蔵文書)の代々住持次第によると、同法流を伝えた中興開山良慶は明徳二年(一三九一)の入寺とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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