惣川村
そうがわむら
[現在地名]野村町惣川・舟戸
舟戸川流域の広大な山地を占める村。東は大野ヶ原に至り、北は七〇〇―八〇〇メートルの山脈によって大洲藩領に接し、雨包山(一一一一メートル)や焼棟峠(七一一メートル)を経て、野井川村・遊子谷村(現城川町)に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「相川村 茅山・柴山有、川有、村下ヲ流、井手不被上、日損所」とあり、舟戸川の深い谷間からの灌漑は困難であった。村名は「
墅截」「宇和旧記」にも相川と書かれている。「大成郡録」によると当村は本村・宮成・惣津・知野・中古屋・大窪・鑰山の七組に分れていた。
惣川村
そうかわむら
[現在地名]南淡町灘惣川
諭鶴羽山系の谷間を東へ下る机谷川を隔て南は吉野村。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録にみえる「なだ」一〇三石六斗のうちに含まれ、正保国絵図に下灘一二ヵ村の一として村名がみえる。享保元年(一七一六)の両国郷村高辻帳(蜂須賀家文書)では高四石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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