日本歴史地名大系 「感応院」の解説 感応院かんのういん 佐賀県:武雄市永島村感応院[現在地名]武雄市橘町永島字汐見潮見(しおみ)山南部の東面中腹にある。武雄盆地を隔てて杵島(きしま)山が一望できる。山号は潮見山。高野山真言宗。西光密(さいこうみつ)寺(現杵島郡山内町)の末寺であった。本尊は薬師如来。この寺は神仏混淆の時は遍照山神宮(じんぐう)寺で、寛文三年(一六六三)潮見神社から分離して潮見山感応院と称するようになった。本尊は分離の際に持ってきたもので、その背銘には「二天 潮見宮 奉寄進 施主頼敬白 文亀二年壬戌六月吉日 神主」とある。 感応院かんのういん 神奈川県:藤沢市大鋸町感応院[現在地名]藤沢市大鋸二丁目境(さかい)川左岸に位置。三島山瑞光寺と号し、高野山真言宗、本尊は不動明王。「風土記稿」によれば開基源実朝、開山律師道教で建保六年(一二一八)創建、応永五年(一三九八)阿闍梨幸海が中興したと伝える。慶長一四年(一六〇九)徳川家康によって檀林所の一つに定められ、慶安二年(一六四九)三石七斗の朱印地を与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by