日本歴史地名大系 「慶円寺」の解説 慶円寺きようえんじ 滋賀県:甲賀郡甲西町下田村慶円寺[現在地名]甲西町下田門脇(かどわき)にある。医王山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。宝暦六年(一七五六)の由緒書(寺蔵)によれば、諏訪新九郎正貞が本願寺顕如に帰依して天台宗より改宗し、医王山浄眼寺と号した。石山合戦には顕如に随従し、天正一七年(一五八九)法名超空を許される。慶長五年(一六〇〇)本願寺准如の尾張下向の帰途、超空と二代存芸が准如の危機を救ったことにより、寺号慶円寺を下付されたと伝える。存芸以降、正芸・宗誓・玄誓・了誓・超誓と続く。 慶円寺けいえんじ 愛知県:一宮市佐野村慶円寺[現在地名]一宮市千秋町佐野 本郷八雲山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。もと大野(おおの)村光明(こうみよう)寺末。境内三五八坪。永正一八年(一五二一)了海の創建(徇行記、尾張志)。「千秋村史」では信長の家臣藤原清主が清須(きよす)城の裏門一棟を拝領して建立したとあるので、同年は再建か。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by