慶政(読み)けいせい

百科事典マイペディア 「慶政」の意味・わかりやすい解説

慶政【けいせい】

天台宗寺門派(園城寺)の僧。名門九条家に生まれたが,幼時乳母の手から落ち背骨が突出するなどしたので出家。京都西山に法華山寺を興し,1217年に渡宋し《証月上人渡唐日記》(散逸)を著す。帰国後は〈往生伝〉の書写を精力的に行っている。歌をよく詠み,明恵親交があった。《法華山寺縁起》《閑居友》《比良山古人霊託》などの著作がある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慶政」の解説

慶政 けいせい

1189-1268 鎌倉時代の僧,歌人
文治(ぶんじ)5年生まれ。九条良経(よしつね)の子。天台宗。近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺の能舜らに師事。建保(けんぽ)5年南宋(なんそう)(中国)にわたる。京都に法華山寺をひらき,また法隆寺修理,維持につくした。歌は「続古今和歌集」などに収録されている。文永5年10月6日死去。80歳。号は証(勝・照・松)月房。著作に「閑居友」「証月上人渡唐日記」など。
格言など】なにわざにつけても,ひとり侍るばかり澄みたることはなし(「閑居友」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の慶政の言及

【法隆寺】より

… 923‐925年(延長1‐3)に講堂・僧坊の一部が炎上,11世紀以降は西円堂・綱封蔵・西室僧坊などが倒壊したり炎上したが,その多くは再興されて講堂の修理も行われ,また〈法隆寺一切経〉が勝賢や林幸らの勧進で整備された。鎌倉時代には後白河院・源頼朝の帰依もあったが,中期以降に顕真得業による太子信仰の高揚や慶政による修理が行われ,慶長年間(1596‐1615)と元禄年間(1688‐1704)の修理を経て,昭和大修理に至った。 西院伽藍の東方に隣接する東院伽藍は上宮王院といい,八角円堂の夢殿と伝法堂・絵殿・舎利殿よりなる。…

※「慶政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む