慶長の役(読み)ケイチョウノエキ

精選版 日本国語大辞典の解説

けいちょう【慶長】 の 役(えき)

豊臣秀吉が文祿の役で明と和議を約した後に、明使の渡来と朝鮮王子の来朝を求めたが、明使のもたらした表文の無礼を怒って、慶長二年(一五九七)正月ふたたび朝鮮に出兵した戦役。秀吉の死を契機に、翌三年一二月には朝鮮から撤兵した。

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世界大百科事典内の慶長の役の言及

【徳川家康】より

…90年,秀吉の小田原征伐に従軍,後北条氏滅亡後その旧領に移封されて江戸城に入った(相模,伊豆,武蔵,下総,上野などで約250万石)。92年(文禄1)の文禄の役では秀吉に従って肥前名護屋に赴いたが,97年(慶長2)の慶長の役でもみずから朝鮮に渡ることはまぬかれた。1596年内大臣。…

【文禄・慶長の役】より

…ことの次第は96年(慶長1)大坂城での明使引見の際に明るみに出,秀吉は激怒して再征となった。 97年(慶長2)の再征=慶長の役は,偽りの講和交渉がもたらしたものであるから,出兵を強いられた将兵はもとより,兵粮米を負担せねばならない農民の苦痛は大きかった。中世以来不課の原則がとられて来た田の裏作麦の収穫高の1/3を徴収して兵粮米を確保するという非常手段もとられたが,翌年8月の秀吉の死によって,この法令は撤回された。…

※「慶長の役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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