慶長三陸地震(読み)けいちょうさんりくじしん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「慶長三陸地震」の意味・わかりやすい解説

慶長三陸地震
けいちょうさんりくじしん

1611年(慶長16)10月28日(グレゴリオ暦12月2日)に発生した地震。揺れは江戸を含む広い範囲で感じられ、東北地方では揺れがやや強かった(震度4~5程度)。福島県北部から北海道東部までの広範囲で津波の被害があり、その犠牲者は伊達(だて)領(仙台藩)だけでも1783人、北方宮古(みやこ)まで広げると、わかる範囲で合計2913人とされる(『譜牒(ふちょう)余録』などによる)。津波の高さは三陸海岸で10~20メートルに達し、仙台平野では内陸深く浸水し、現在の海岸から2.5キロメートルほど内陸にあった集落(現、仙台市荒浜地区)でも大きな被害を生じた。当時、日本沿岸を測量中であったスペインの探検家セバスティアン・ビスカイノの一行は、現在の岩手県大船渡(おおふなと)市付近でこの地震と津波に遭遇し、その記録を残している。地震の揺れが小さいわりに津波が大きい点で1896年(明治29)の明治三陸地震と似ているが、慶長三陸地震は北海道と仙台平野周辺で津波が大きかったことで違いがある。

 震源については不明な点が多い。地震の揺れが感じられたのが午前8時から10時ころであるのに対し、宮古での津波の到達はその数時間後の午後2時ころとされる。震源が三陸沖の日本海溝周辺にあれば東北沿岸には30分ほどで津波が到達するはずであり、このことから慶長三陸地震の震源が日本海溝ではなく、より遠方にあることが示唆される。北海道東部太平洋岸の津波堆積(たいせき)物の研究から、17世紀前半に千島海溝西部で連動型巨大地震(推定規模は少なくともモーメントマグニチュード(MW)8.4)が発生したことが知られており、この地震が慶長三陸地震であるとする考えもある。

藤原 治 2017年6月20日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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