日本大百科全書(ニッポニカ) 「慶長小袖」の意味・わかりやすい解説
慶長小袖
けいちょうこそで
慶長年間(1596~1615)に流行したという小袖の形式。小袖の全面を絞りで山形、雲形、松皮菱形(ひしがた)、その他不定形な区画にくぎり、この内側に草花や鶴亀(つるかめ)などの小模様を刺しゅうで散らし、模様のないところには全面摺箔(すりはく)を置いたもの。このように、絞りと刺しゅうと箔で生地が見えないほどに全面を埋め尽くした意匠であるため、別名を「地無し」ともいう。区画の内側に散らされる模様はどれもみな細やかで、桃山時代の盛期のはででおおらかな他の模様と比較すると、一見異質な趣がある。しかし、俗に天文(てんぶん)小袖とよばれる花卉(かき)模様の小袖にも、若松や小花などの細かい繍(ぬい)模様がなされているし、雲形や松皮菱形などの区画の中に模様を充填(じゅうてん)するという意匠は、桃山時代の辻が花(つじがはな)染めや繍箔の意匠に通じる閉鎖性が認められる。江戸時代になると、この閉鎖的な模様がしだいに枠づけを破り、ついには寛文(かんぶん)小袖にみられる開放的な大模様へと展開する。
[村元雄]