高桑闌更(読み)たかくわ・らんこう

朝日日本歴史人物事典の解説

高桑闌更

没年:寛政10.5.3(1798.6.16)
生年:享保11(1726)
江戸中期の俳人。別号は二夜庵,半化房(坊),芭蕉堂など。金沢の商家に生まれ,俳諧加賀蕉門の重鎮であった希因に学ぶ。30代のなかばごろから俳諧活動が活発になり,蕉風復古を志して芭蕉の資料を世に紹介するとともに,独自の蕉風論を唱える。江戸を経て京都に移り,天明3(1783)年洛東に芭蕉堂を営んで毎年3月に芭蕉会を催し『花供養』を刊行した。温厚な性格が慕われて,多くの門人を擁して京都俳壇の中心人物となり,晩年には二条家から花の本宗匠の称号を与えられている。<参考文献>大河寥々「高桑闌更」(明治書院『俳句講座』3巻)

(田中善信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

たかくわ‐らんこう〔たかくはランカウ〕【高桑闌更】

[1726~1798]江戸中期の俳人。加賀の人。名は忠保または正保蕉風復興に努め、天明の俳諧中興に貢献。編著「芭蕉翁消息集」「俳諧世説」、句集「半化坊発句集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高桑闌更
たかくわらんこう

[生]享保11(1726).金沢
[没]寛政10(1798).5.3. 京都
江戸時代中期~後期の俳人。は正保,忠保。通称,長次郎。別号,闌皐,李桃亭,狐狸窟,二夜庵,半化房 (坊) ,芭蕉堂,南無庵。生家は金沢の商家釣瓶屋。俳諧を希因に学び,天明以後は京都高台寺のほとりに芭蕉堂を造って住んだ。元禄蕉門の俳書を多数編集出版し,蕉風復帰に尽力した。編著『花の故事』 (1763) ,『有の儘』 (69) ,『落葉考』 (71) ,『半化房発句集』 (87) など多数。門人のうち,蒼きゅう,梅室,何丸は特に有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高桑闌更 たかくわ-らんこう

1726-1798 江戸時代中期-後期の俳人。
享保(きょうほう)11年生まれ。生家は加賀金沢の商家。和田希因にまなぶ。蕉風復古をとなえ,京都で芭蕉堂をいとなんだ。寛政5年二条家より花の本宗匠の号をゆるされた。寛政10年5月3日死去。73歳。名は正保,忠保。通称は長次郎。初号は蘭皐,別号に半化房(坊)など。編著に「落葉考」「俳諧世説」など。
格言など】暁は土に燃え入る火串(ほぐし)かな(「半化坊発句集」)

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精選版 日本国語大辞典の解説

たかくわ‐らんこう【高桑闌更】

江戸中期の俳人。名は忠保または正保。加賀金沢の人。初号蘭皐、別号李桃亭・半化坊・芭蕉堂など。希因に師事。花の本宗匠。晩年京都に住み芭蕉堂を開いた。芭蕉やその門弟の作品を複刻し、世に伝えようとした努力は高く評価されており、中興期の芭蕉復帰運動に大きく貢献した。編著「花の故事」「月あかり」「花供養」、句集に「半化坊発句集」がある。享保一一~寛政一〇年(一七二六‐九八

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