アメリカ映画。1934年作品。フランク・キャプラ監督。映画がトーキー期に入り、新たな活況を呈した1930年代前半、新時代のコメディとして観客の心をつかんだ会心作。家出した大富豪の娘が失業中の新聞記者とともに、不況下のアメリカを背景に珍道中を繰り広げ、そのなかで人生を学び、また恋に落ちていくという物語が、秀抜なギャグシーンとともにスピーディに描かれる。1935年のアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞(クラーク・ゲーブル)、主演女優賞(クローデット・コルベール)、脚本賞(ロバート・リスキンRobert Riskin、1897―1955)を独占した。またこの作品から「スクリューボール・コメディ」というジャンルが生まれ、その後しばらく美男・美女のスター俳優たちが突飛な大騒ぎを繰り広げるコメディがスクリーンをにぎわすことになった。
[宮本高晴]
…シチリア生れ。1930年代に脚本家ロバート・リスキンとのコンビにより《一日だけの淑女》(1933),《或る夜の出来事》(1934),ゲーリー・クーパー,ジーン・アーサー主演の《オペラ・ハット》(1936),《群衆》(1941),ジェームズ・スチュアート,ジーン・アーサー主演の《我が家の楽園》(1938),《スミス都へ行く》(1939)など,平凡な市民の善意の勝利を〈モダンなおとぎ話〉として描き,〈アメリカの夢〉を楽天的にうたい上げた〈ニューディール・コメディ〉で一世をふうびし,4年間に3度もアカデミー監督賞を受賞(《或る夜の出来事》《オペラ・ハット》《我が家の楽園》),アメリカ映画の代表的監督となった。チャップリン,ロイド,キートンと並ぶサイレント映画の〈四大喜劇王〉の一人,ハリー・ラングドンの最高傑作といわれるスラプスティック・コメディ《初恋ハリー》(1927)やブラック・ユーモアの喜劇《毒薬と老嬢》(1944)の監督としても知られる。…
…下積み生活が長く,映画出演第1作《惨劇の砂漠》(1931)が30歳のときである。MGMに25年間所属し,最初はギャング映画の悪役専門だったが,1934年,コロムビアに借り出されて出演したフランク・キャプラ監督《或る夜の出来事》で明るい喜劇的な役柄をこなし,アカデミー主演男優賞を獲得し,都会的センスと野性味を兼ねそなえた規模の大きなスターの座を築いた。39年,女優のキャロル・ロンバードと結婚したが(5度にわたる結婚のうち,3度目の妻),3年後,死別。…
※「或る夜の出来事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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