アメリカの映画監督。イタリア、シチリア島のパレルモに生まれ、6歳のときアメリカに移住。1921年映画界に入り、ギャグマンなどを経て監督となる。1934年、アカデミー賞の主要部門を独占した『或(あ)る夜の出来事』で、主人公男女の対立と恋愛、奇抜な行状を通して富裕階層や都会の生存競争を風刺的に描くという、「変人喜劇」(スクリューボール・コメディ)の型を定め、以後のアメリカ喜劇映画に大きな影響を与えた。続いて『オペラハット』(1936)と『我が家の楽園』(1938)がともにアカデミー監督賞を受け、『スミス都へ行く』(1939)、『群衆』(1941)と同系列ながら、より個性的で社会的メッセージの濃厚な喜劇を連作。この時期の作品の多くは脚本家ロバート・リスキンとのコンビによることでも有名である。その後『毒薬と老嬢』(1944)、『素晴らしき哉(かな)人生!』(1946)などがある。
[宮本高晴]
当りっ子ハリー The Strong Man(1926)
初陣ハリー Tramp, Tramp, Tramp(1926)
初恋ハリイ Long Pants(1926)
力漕一挺身 For the Love of Mike(1927)
サブマリン Submarine(1928)
闇を行く The Way of the Strong(1928)
渦巻く都会 The Power of the Press(1928)
呑気な商売 That Certain Thing(1928)
陽気な踊子 The Matinee Idol(1928)
ドノヴァン The Donovan Affair(1929)
空の王者 Flight(1929)
希望の星 Ladies of Leisure(1930)
有閑夫人 Ladies of Leisure(1930)
プラチナ・ブロンド Platinum Blonde(1931)
奇蹟の処女 The Miracle Woman(1931)
大飛行船 Dirigible(1931)
たそがれの女 Forbidden(1932)
狂乱のアメリカ American Madness(1932)
一日だけの淑女 Lady for a Day(1933)
風雲のチャイナ The Bitter Tea of General Yen(1933)
或る夜の出来事 It Happened One Night(1934)
其の夜の真心 Broadway Bill(1934)
オペラハット Mr. Deeds Goes to Town(1936)
失はれた地平線 Lost Horizon(1937)
我が家の楽園 You Can't Take It with You(1938)
スミス都へ行く Mr. Smith Goes to Washington(1939)
群衆 Meet John Doe(1941)
毒薬と老嬢 Arsenic and Old Lace(1944)
素晴らしき哉、人生! It's a Wonderful Life(1946)
愛の立候補宣言 State of the Union(1948)
恋は青空の下 Riding High(1950)
花婿来たる Here Comes the Groom(1951)
波も涙も暖かい A Hole in the Head(1959)
ポケット一杯の幸福 Pocketful of Miracles(1961)
アメリカの映画監督。シチリア生れ。1930年代に脚本家ロバート・リスキンとのコンビにより《一日だけの淑女》(1933),《或る夜の出来事》(1934),ゲーリー・クーパー,ジーン・アーサー主演の《オペラ・ハット》(1936),《群衆》(1941),ジェームズ・スチュアート,ジーン・アーサー主演の《我が家の楽園》(1938),《スミス都へ行く》(1939)など,平凡な市民の善意の勝利を〈モダンなおとぎ話〉として描き,〈アメリカの夢〉を楽天的にうたい上げた〈ニューディール・コメディ〉で一世をふうびし,4年間に3度もアカデミー監督賞を受賞(《或る夜の出来事》《オペラ・ハット》《我が家の楽園》),アメリカ映画の代表的監督となった。チャップリン,ロイド,キートンと並ぶサイレント映画の〈四大喜劇王〉の一人,ハリー・ラングドンの最高傑作といわれるスラプスティック・コメディ《初恋ハリー》(1927)やブラック・ユーモアの喜劇《毒薬と老嬢》(1944)の監督としても知られる。1903年,貧しい移民の子としてカリフォルニアに渡る。21年,ハル・ローチの撮影所で《ちびっこギャング》シリーズのギャグマンとなり,続いてマック・セネットの撮影所でもギャグマンを経てハリー・ラングドンの初めての長編《初陣ハリー》(1926)のシナリオを書き,《当りっ子ハリー》(1926)で監督となる。《サブマリン》(1928)など戦争アクションや,バーバラ・スタンウィックを〈現代的な〉ヒロインとして売り出した女性映画《希望の星》(1930),《奇蹟の処女》(1931),《たそがれの女》(1932),《風雲の支那》(1933)でもストーリー・テラーとしての優れた才能を発揮。ジェームズ・ヒルトン原作,ロバート・リスキン脚色による,ユートピア物語《失われた地平線》(1937)も名作とされている。第2次世界大戦中は応召して戦時プロパガンダ映画《われら何故戦うか》のシリーズの製作に従事。戦後,ウィリアム・ワイラー,ジョージ・スティーブンスとリバティー・フィルムズを設立し,〈アメリカの夢〉を追った《素晴しき哉,人生!》(1947)をつくったが,これが最後のヒット作となる。《一日だけの淑女》のリメーク《ポケット一杯の幸福》(1961)を最後に引退。キャプラ=リスキンのコメディはあまりにも楽天的で理想主義的であるとして,戦後,受け入れられなくなったが,70年代以降,その楽天性の裏にこめられた〈暗黒〉と〈絶望〉にも目が向けられるようになり,再評価されつつある。トリュフォーは,〈正式の免許はなくても人間の心の病を治療することにかけては天下一品の腕をもつやぶ医者〉と評している。ハリウッドを知る手がかりにもなる自伝《題名を超える名前》(1971)がある。
執筆者:柏倉 昌美
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…フランスのルネ・クレールは,スラプスティックの要素を含む現代おとぎ話《ル・ミリオン》(1931),チャップリン的な風刺喜劇《自由を我等に》(1931),人情喜劇《巴里祭》(1932),《最後の億万長者》(1934)などの多彩な喜劇を発表している。サイレント的なパントマイム演技を,意識的に残したクレールに対して,会話劇のおもしろさを発揮したのは,アメリカのフランク・キャプラとエルンスト・ルビッチである。キャプラは,1930年代に脚本家ロバート・リスキンと組んで多くの喜劇を作った。…
…当初,ハリウッドのビッグ・ファイブ(パラマウント,20世紀フォックス,MGM,ワーナー・ブラザース,RKO)に対するリトル・スリー,すなわちユニバーサル,コロムビア,ユナイテッド・アーチスツの1社にすぎなかったが,32年から58年(死去)まで社長と製作本部長を兼ねたハリー・コーンの自他ともに認める独裁的な経営・製作方針によって経営が安定した。とくに30年代はアカデミー賞主要5部門(作品,主演男優,主演女優,監督,脚本)を独占した《或る夜の出来事》(1934)をはじめ,《オペラ・ハット》(1936),《我が家の楽園》(1938),《スミス都へ行く》(1939)等々,フランク・キャプラ監督の人情喜劇のヒットによって,発展。40年代はもっぱら〈赤毛のリタ〉と呼ばれてGIの人気ピンナップ・ガールであったリタ・ヘイワース主演の映画(《血と砂》1941,《カバーガール》1944,《ギルダ》1946,等々)とB級映画(《幽霊紐育を歩く》1941,《ジョルスン物語》1946,等々)を売って成功。…
…1939年製作のアメリカ映画。フランク・キャプラ監督作品。原作はルイス・R.フォスター(1900‐74)の《モンタナから来た男》で,ワシントンとリンカンを理想の人物として崇拝する田舎町の少年団の団長(ジェームズ・スチュアート)が,欠員になった上院議員に祭りあげられ,美しい女秘書(ジーン・アーサー)の協力をえて陰謀とたたかった結果,腐敗した政治の世界で民主主義の伝統的な理想と正義が勝利を収めるという,アメリカ的な楽天主義が風刺と皮肉をこめて貫かれた物語。…
…のちこの組織は戦時情報局に吸収されているが,ジョン・スタインベックの脚本によるハーバート・クライン《忘れられた村》(1941)が自主製作されたことも注目される。戦争中は,フランク・キャプラ製作・監修の《われらはなぜ戦うか》シリーズ(1942‐45)を中心に,ジョン・フォードの《ミッドウェーの戦い》(1942)をはじめ,ウィリアム・ワイラー,ジョン・ヒューストン,アナトール・リトバク(1902‐74)等々,ハリウッドの監督による戦争ドキュメンタリーがつくられた。 イギリスでは,情報省の支配下で,ハリー・ワットの《今夜の目標》(1941),ロイ・ボールティングの《砂漠の勝利》(1943),キャロル・リードとガースン・ケニン編集による英米合作の《真の栄光》(1945)などがつくられた。…
…1938年製作のアメリカ映画。《或る夜の出来事》(1934),《オペラ・ハット》(1936)につづいてアカデミー賞(作品賞,監督賞)を受賞したフランク・キャプラの製作・監督作品。ブロードウェーでヒットしていたジョージ・S.カウフマンとモス・ハート共作のピュリッツァー賞受賞作(1936)を,コロムビア映画のハリー・コーンがルイス・B.メイヤーに一歩先んじて,当時としては破格の20万ドルで映画化権を手に入れ,キャプラ自身と30年代に名コンビであったロバート・リスキンRobert Riskin(1897‐1955)の共同脚色で映画化したもの。…
※「キャプラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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