日本歴史地名大系 「田沼村」の解説
田沼村
たぬまむら
慶安郷帳によれば田三〇石余・畑一千八〇石余、朽木稙綱領。慶安二年(一六四九)幕府領、寛文元年(一六六一)上野館林藩領となり、天和二年(一六八二)旗本七氏の相給。内訳は榊原・徳永・筒井・宮城・堀田の五氏は二〇〇石の均等割、久永・村越両氏は各五八石余(分郷配当帳)。元禄一一年(一六九八)宮城知行分は松平領に代わり、幕末に至る。寛保二年(一七四二)の旗本堀田知行分の村明細帳(立川順三郎文書)によれば人数四七、用水は天水に頼るため畑が多く、葉煙草・大豆を栽培した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報