日本歴史地名大系 「戸田渡」の解説
戸田渡
とだのわたし
中山道
天保一三年(一八四二)の渡船場の規模は、荒川の南岸に長さ七〇間・横八間(蓮沼村・根葉村入会地)、北岸に長さ七〇間・横二間(下戸田村)の用地があり、河幅は平常は約五五間余、大水(満水)時は一里ほどにもなった。下戸田村の村請で、中山道西側に川会所が置かれて、名主が渡船業務の一切を取仕切った。名主・年寄の下に組頭・船役人・小揚人足らがいた。組頭は船肝煎ともよばれ、常時一人は渡船場に詰め、時には二人で船頭以下を指揮して渡船に関する業務に当たった。船役人は船頭・下役・川頭などともよばれ、八人がいた。小揚人足は船荷物の取揚げ・荷降ろし、旅人の背負出し入れなどに従事し賃銭を得ていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報