戸田渡(読み)とだのわたし

日本歴史地名大系 「戸田渡」の解説

戸田渡
とだのわたし

中山道板橋いたばし宿(現東京都板橋区)から蕨宿の間の荒川に設けられた渡船場豊島としま蓮沼はすぬま村・根葉ねつぱ(現板橋区)と下戸田村を結んだ。天正年中(一五七三―九二)頃から渡船場としてかなりの規模で経営されていたらしい(寛保三年「渡船場一件願書控」武内家文書など)。武蔵国道法(田園簿)には入間いるま(現荒川)の戸田舟渡がみえ、幅九三間、水深七尺六尺、水出渡りなしと記される。

天保一三年(一八四二)の渡船場の規模は、荒川の南岸に長さ七〇間・横八間(蓮沼村・根葉村入会地)、北岸に長さ七〇間・横二間(下戸田村)用地があり、河幅は平常は約五五間余、大水(満水)時は一里ほどにもなった。下戸田村の村請で、中山道西側に川会所が置かれて、名主が渡船業務の一切を取仕切った。名主・年寄の下に組頭・船役人・小揚人足らがいた。組頭は船肝煎ともよばれ、常時一人は渡船場に詰め、時には二人で船頭以下を指揮して渡船に関する業務に当たった。船役人は船頭・下役・川頭などともよばれ、八人がいた。小揚人足は船荷物の取揚げ・荷降ろし、旅人の背負出し入れなどに従事し賃銭を得ていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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