日本大百科全書(ニッポニカ) 「手具体操」の意味・わかりやすい解説
手具体操
しゅぐたいそう
手に各種用具を持って行う体操で、徒手体操、器械体操に対比される。1878年(明治11)体操伝習所が設立され、アメリカ人リーランドGeorge A. Leland(1850―1924)が米国式体操を中心に、西欧の遊戯・スポーツを初めて日本に紹介した。リーランドの伝えた体操は、同国の体操家ルイスDiocletian Lewis(1823―1886)創案の医療体操系で、亜鈴(あれい)、球竿(きゅうかん)、木環、豆嚢(とうのう)、棍棒(こんぼう)などを使用する手具体操を中心とした。
亜鈴体操は長さ30センチメートル、柄の長さ14センチメートルの木製亜鈴を一つずつ両手に持ち、徒手体操的動作のなかで、端と端を打ち合わせたり上挙振をする。亜鈴の重みで運動が振動的になり、リズミカルに練習できる。球竿体操は長さ1メートルの棒を使用する体操。木環体操は直径5インチ(12.7センチメートル)の木製の環を持って、2人が組んで行い、関節の運動領域を増大する。豆嚢体操は豆を詰めた袋を投げ合い、相互にキャッチする運動。棍棒体操は長さ35~60センチメートル、重さ0.5~1キログラムの棍棒の頭部を握り、手首の回旋を加えながら腕の挙振・回旋を反復する。棍棒の重量を利用して運動領域の増大と筋力の増強がねらいである。
これら手具体操は、明治期に全国的に普及したが漸次衰微した。その後、国際体操連盟が、「新体操」として、徒手体操のほか、ボール、輪、縄、帯状布を使用する手具体操を女子競技に取り入れ、1984年オリンピック・ロサンゼルス大会から実施された。
[上迫忠夫 2018年9月19日]