打出村(読み)うちでむら

日本歴史地名大系 「打出村」の解説

打出村
うちでむら

[現在地名]芦屋市打出町・春日町かすがちよう打出小槌町うちでこづちちよう若宮町わかみやちよう西蔵町にしくらちよう浜町はまちよう南宮町なんぐうちよう大東町だいとうちよう呉川町くれかわちよう宮川町みやがわちよう宮塚町みやづかちよう上宮川町かみみやがわちよう楠町くすのきちようみどり丘町おかちよう親王塚町しんのうづかちよう大原町おおはらちよう東山町ひがしやまちよう岩園町いわぞのちよう朝日あさひ丘町おかちよう六麓荘町ろくろくそうちよう剣谷けんたに

芦屋村の東に接し、六甲ろつこう山地南麓から大阪湾へかけての段丘・沖積地に位置する。村の中央部を宮川貫流、南部を山陽道が横断する。正和四年(一三一五)一一月日の兵庫関悪党交名注進状案(東大寺文書)に悪党後藤右衛門尉らの居住地として打出がみえる。南北朝期には当地で合戦が相次いだ。後醍醐天皇に反旗を翻して丹波に走った足利尊氏は、建武三年(一三三六)二月一一日入京を図って打出などで新田義貞・楠木正成らと合戦し撃退されている(延元元年三月日「和田助康軍忠状」真乗院文書、建武三年八月日「田原直貞軍忠状」入江文書など)。また観応の擾乱の最中の観応二年(一三五一)二月一七日、播磨から上洛する尊氏軍と弟直義軍が打出浜で衝突しており(同年三月二日「伊丹宗義軍忠状」北河原氏家蔵文書、同年三月日「広峯頼長軍忠状写」広峯文書、「太平記」巻二九など)、翌年にも合戦があった(文和二年六月日「森本基長軍忠状写」北河原氏家蔵文書)


打出村
うちいでむら

[現在地名]富山市打出

富山湾に面し、東は四方よかた町、西は射水郡打出本江うちでほんごう(現新湊市)。永正(一五〇四―二一)の頃本願寺円如が、全国的に坊舎が乱立していることを憂い、越中国の真宗の中心勢力安養あんよう(のちの古国府勝興寺)などに対し、赤田あかだ・打出両所の草坊の建立停止を命じている(反故裏書)。天文三年(一五三四)頃、現在安田やすだ町にある極性ごくしよう寺は当地にあったといわれ(極性寺暦代略記)、同一四年一一月二八日の二屋五郎兵衛寄進状(同書)によると、万見まみ保のうち打出柴草しばくさの二屋五郎兵衛が極性寺へ公方本役以外の諸公事を除いた田地一七〇刈を寄進している。同二三年一一月、右衛門尉某が打出の町道場に禁制を出している(「右衛門尉某禁制」極性寺文書)


打出村
うちでむら

[現在地名]中川区打出町・打出・打出本うちでほん

中郷ちゆうごう村の西にある。海に面していた頃、海に張出した地の意という(尾張国地名考)。寛文一一年(一六七一)の家数二八、人数一三五(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田畑二〇町二反余の小村で田が一二町一反余を占める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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