日本大百科全書(ニッポニカ) 「抛銀」の意味・わかりやすい解説
抛銀
なげがね
投銀、擲銀とも書く。17世紀初期、朱印船主またはポルトガル人・中国人の貿易商に対して、博多(はかた)の豪商島井家や末次(すえつぐ)家などが投資した資本。その約束証文を抛銀証文といい、博多の島井家蔵の9通と『博多三傑伝』に引用の和文証文1通、同じくもと博多の末次氏旧蔵和文証文3通、漢文証文5通など合計23通と、ポルトガル船に対する抛銀証文が島井家蔵2通、末次家旧蔵6通ほか1通の計9通、全部で32通が現在知られている。この証文は、基本的要件として、(1)出資者名、(2)借受人氏名、(3)借受銀額、(4)利率、(5)投資船名、(6)渡航地、(7)客商名、(8)「かこひ」(船がこいして出帆遅延の場合)の割増率、(9)担保、(10)連帯保証人、(11)契約年月日の11項目をもつ特殊な金銭貸借証書である。
証文によれば、抛銀は丁銀(ちょうぎん)を用い、渡航先を明示し、帰朝時の返済を約しているが、海難にあった場合は返済の義務がないのが普通であった。個々の朱印船への投資の額面は銀500匁~6貫の間であり、ポルトガル船に対するものよりも少額であり、これは投資の危険率を考えて、少額の資本が多数の貿易商に対し幾口も投資されたためと思われる。利率もポルトガル船の場合は2割5分から3割8分であったが、朱印船では3割8分から最高11割に及ぶ高利であった。これも抛銀がきわめて有利な投資である反面、危険も大きかったためである。なお、現存証文は貸金未回収で貸主に残存の場合を示すが、これは全体からは少数の例外と考えられている。
[沼田 哲]
『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1921・巧人社)』▽『岩生成一著『朱印船貿易史の研究』(1958・弘文堂)』