拝田村
はいたむら
[現在地名]宇佐市上拝田・下拝田
駅館川を挟み山本村の対岸西方の河岸段丘上にある。村の南端、拝田新洞で津房川と恵良川が合流し駅館川となる。同川は和尚山山麓を迂回しながら北流する。東は矢部村、南は香下村・北山村(現院内町)。当地一帯には横穴が多く、山ノ下に六一基、小路迫一五基、後山三基、土祖神元一七基、柳林一五基などを数える。元徳四年(一三三二)四月二九日の鎮西下知状案(広崎文書)に葛原郷得弘名の四至として「南限ヤナセノムカヘ拝田サカイメンノ路カヽル」とみえる。文亀二年(一五〇二)三月二八日の保寿山位安堵状(南文書)によると、「宇佐郡拝田村鷹栖山院主職」が別当南栄印に安堵されている。天正八年(一五八〇)と思われる九月四日の大友義統感状(佐田文書)によると、「西表之悪党拝田村相
」して矢部統高の宅所を襲っている。また年未詳一一月一日の大友義統安堵状(南文書)で「はいたの内かはらの田地」が高栖座主南都坊に安堵されている。
拝田村
はいだむら
[現在地名]亀岡市千代川町拝田
南西は北庄、東は千原・川関の村々。北の山裏は船井郡八木村(現八木町)で、北庄村から拝田村西の峠を越えて八木村に出る古道がある。村内南部を東方に篠山(現兵庫県多紀郡篠山町)方面からの愛宕道が通る。地名は灰田とも書く。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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