日本歴史地名大系 「撫養城跡」の解説 撫養城跡むやじようあと 徳島県:鳴門市林崎浦撫養城跡[現在地名]鳴門市撫養町林崎 北殿町通称妙見(みようけん)山の山頂にあり、別名撫養湊(むやみなと)城・岡崎(おかざき)城とも古城山林崎(こじようさんはやさき)城ともいう。撫養港(岡崎港)を見下ろす位置にある標高六一・五メートルの独立した山城跡。南は断層崖に面し、北西から北側へかけても急斜面となっている。往時は対岸の土佐泊(とさどまり)城と同様に島に築かれた城であったと推定される。城は県立鳥居記念博物館のある最高所の平地を本丸にして、その北側の妙見神社のある平地、さらにその東方の千畳敷(せんじようじき)とよばれる平地の三段からなっている。本丸は東西約六〇メートル・南北約二五メートルで、高(たか)櫓ともよばれている。妙見神社のある平地は二の丸に相当するもので、南北約八〇メートル・東西約三四メートルである。ほぼ全域が神社の境内になり、天保元年(一八三〇)に妙見神社が建てられた時に地形が大きく変えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by