播磨屋町(読み)はりまやちよう

日本歴史地名大系 「播磨屋町」の解説

播磨屋町
はりまやちよう

[現在地名]中区たて町・本通ほんどおり紙屋かみや町一丁目

平田屋ひらたや町の西に続く山陽道沿いの横町で、西は革屋かわや町に続く。天正(一五七三―九二)頃、湯川播磨守宗有が紀伊より広島に来住、研屋とぎや町・紙屋町立町および当町辺りを開拓、その功により屋敷地に町名を残したと伝える。城下中通組に属した。

元和五年広島城下絵図に「はりまや町」として町間数一町九間を記す。寛永二年広島町数家数改め(済美録)には本家三一軒・借家四一軒とあり、明暦の切絵図には家数二九、間数一三九間半一尺三寸、うち木薬屋五軒、干物屋・柿屋各四軒、質屋・筆屋・樽屋各二軒などを記す。「知新集」には町門一(中町筋)、町間数二丁一四間七歩八厘、竈数六二(本竈二一・借竈四一)、人数二三九(男一二三・女一一六)、うち本道医・傘張・鼈甲細工・紺屋仕立物師・桶屋・畳刺・筆結各一人をあげる。


播磨屋町
はりまやちよう

[現在地名]高知市はりまや町一―三丁目

縦堀に架かる播磨屋橋から北に延びる道筋に沿う町並の通称で、近代になって正式に行政上の町名となった。江戸時代のおおよその範囲は、北は北種崎きたたねざき町と紺屋こんや町境から南は播磨屋橋までの間で、行政上は種崎町のうちであった。町名は豪商播磨屋があったことにちなむ。

播磨屋町と通称されるようになった時期は不詳だが、天保一二年(一八四一)城下町絵図には、北種崎町・紺屋町境よりも北まで含むところに「ハリマヤ丁」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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