改訂新版 世界大百科事典 「教育劇」の意味・わかりやすい解説
教育劇 (きょういくげき)
Lehrstück[ドイツ]
ブレヒトが1930年前後に試みた一連の自作の戯曲につけた名称。観客を教育する劇という意味はない。ここでは,演ずる者と見る者という従来の演劇の区別を廃し,全員が参加者として演じられたテーマを討論する場としての演劇が想定されているから,従来は芸術消費者だった観客も上演者(芸術生産者)になる。そして上演する者は,演ずることによって学ぶ。1929年の世界経済危機は,演劇界にも不況をもたらしたが,他方では左右激突の時代状況を背景に,労働者演劇運動を生んだ。これが従来の演劇とはまったく異なったこの新しい形態を生み出す母胎になっている。演ずることによって参加者は,具体的な思考法,批判的態度,政治姿勢を試み,唯物弁証法の知識を得るとされているが,ブレヒトにとっては,マルクス主義を学びはじめた自己の検証でもあった。作品としては《リンドバーグたちの飛行》(1929。のち《大洋横断飛行》と改題),《了解についてのバーデン教育劇》(1929),能《谷行》に基づく学校オペラ《イエスマン》(1930),《例外と原則》(1930),《処置》(1930),《ホラティア人とクレアティア人》(1934)が教育劇に属するが,ゴーリキーを劇化した《母(おふくろ)》にも教育劇の手法がとられている。ブレヒトの教育劇では,劇の世界に観客をひきこもうとする努力は一切放棄され,演ずる者も役になるのではなく,ある役のおかれた状況を検証のために呈示するにすぎず,したがって一つの役が異なった演技者によってかわるがわる演じられることもある。必ずしも観客を必要とはしない教育劇は,ブレヒトの演劇理論の一つの徹底化であり,〈将来の演劇〉のモデルといわれたが,いまだに十分な検討が行われていない。1950年代末からの劇作家ミュラーHeiner Müllerの試みや,シュタインウェークを中心とする研究グループが,この課題をひきつぎ現代における有効性を検討している。
執筆者:岩淵 達治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報