日本大百科全書(ニッポニカ) 「文珠九助」の意味・わかりやすい解説
文珠九助
もんじゅくすけ
(1725―1788)
江戸後期、天明伏見(てんめいふしみ)騒動の中心人物となった義民。山城(やましろ)国伏見(京都市)の町年寄役もした町人で、家業は刃物鍛冶(かじ)。伏見奉行(ぶぎょう)の小堀和泉守政方(いずみのかみまさかた)の増税と御用金賦課に対し、同志5人と計って江戸直訴を実行。寺社奉行の取り上げるところとなり、政方は罷免となったが、九助らも京都ついで江戸に送られて過酷な取調べを受けた。その過程で同志7人のうち5人まで病死、残る文珠九助と丸屋九兵衛(くへえ)の2人だけが江戸に送られたが、この2人も吟味中に病死。この騒動は町人一揆(いっき)の代表といえ、記録「雨中之鑵子(かんす)」は有名である。東京深川の陽岳寺に墓があり、京都市伏見区の御香宮(ごこうぐう)神社に顕彰碑がある。
[横山十四男]
『『雨中の鑵子』(『日本庶民生活史料集成6』所収・1968・三一書房)』▽『横山十四男著『義民』(1973・三省堂)』