斎藤 隆夫(読み)サイトウ タカオ

20世紀日本人名事典の解説

斎藤 隆夫
サイトウ タカオ

明治〜昭和期の政治家 衆院議員(民主自由党)。



生年
明治3年8月18日(1870年)

没年
昭和24(1949)年10月7日

出生地
兵庫県出石郡出石町

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)行政科〔明治27年〕卒

経歴
エール大大学院に留学し、帰国後弁護士を開業。明治45年立憲国民党から衆院議員に当選し、以来13選。憲政会立憲民政党に属し、浜口内閣の内務政務次官、第2次若槻内閣の法制局長官斎藤内閣で再び法制局長官を歴任したが、昭和11年2.26事件直後の議会で“粛軍演説”を、また15年衆院本会議で陸軍を非難する演説を行い、衆院議員を除名された。17年翼賛選挙に非推薦で最高位当選。戦後、日本進歩党結成に参加、21年第1次吉田内閣、22年片山内閣で国務相として入閣した。23年民主自由党(民自党)創立に参加、総務会長、顧問を務めた。著書に「比較国会論」「帝国憲法論」「回顧七十年」など。平成2年日記が公開された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和の解説

斎藤 隆夫
サイトウ タカオ


肩書
衆院議員(民主自由党)

生年月日
明治3年8月18日

出生地
兵庫県出石郡出石町

学歴
東京専門学校(現・早稲田大学)行政科〔明治27年〕卒

経歴
エール大大学院に留学し、帰国後弁護士を開業。明治45年立憲国民党から衆院議員に当選し、以来13選。憲政会、立憲民政党に属し、浜口内閣の内務政務次官、第2次若槻内閣の法制局長官、斎藤内閣で再び法制局長官を歴任したが、昭和11年2.26事件直後の議会で“粛軍演説”を、また15年衆院本会議で陸軍を非難する演説を行い、衆院議員を除名された。17年翼賛選挙に非推薦で最高位当選。戦後、日本進歩党結成に参加、21年第1次吉田内閣、22年片山内閣で国務相として入閣した。23年民主自由党(民自党)創立に参加、総務会長、顧問をつとめた。著書に「比較国会論」「帝国憲法論」「回顧七十年」など。平成2年日記が公開された。

没年月日
昭和24年10月7日

家族
二男=斎藤 義道(衆院法政局次長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典の解説

斎藤 隆夫 (さいとう たかお)

生年月日:1870年8月18日
明治時代-昭和時代の政治家;弁護士。衆議院議員
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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