斎藤如泉(読み)さいとうじょせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「斎藤如泉」の意味・わかりやすい解説

斎藤如泉
さいとうじょせん

[生]正保1(1644)
[没]正徳5(1715).8.17.
江戸時代前期~中期俳人。京都の人。通称,甚吉。庵を真珠庵という。俳諧高瀬梅盛に学んだが,延宝7 (1679) 年に菅野谷高政編『中庸姿 (つねのすがた) 』の連衆となってから宗因風の俳諧に転じた。元禄年間には京都俳壇の実力者として,また雑俳点者として活躍。特に漢和俳諧に秀でた。編著に『番匠童』 (89) ,『俳諧柱立』 (90) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤如泉」の解説

斎藤如泉 さいとう-じょせん

1644-1715 江戸時代前期-中期の俳人。
正保(しょうほ)元年生まれ。貞門派の高瀬梅盛(ばいせい)にまなび,のち菅野谷(すがのや)高政にしたがい談林派に転じる。京都四条道場にすみ,漢和連句にすぐれた。正徳(しょうとく)5年8月17日死去。72歳。通称は甚吉。別号に真珠庵。著作に「誹諧柱立(はいかいはしらだて)」「松はやし」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の斎藤如泉の言及

【如泉】より

…江戸前期の俳人。姓は斎藤,通称は甚吉。京都の人で,四条道場内に真珠庵を結んで住んだ。梅盛に師事して貞門俳諧を学んだが,1679年(延宝7)高政の《俳諧中庸姿(つねのすがた)》に一座してからは談林俳諧に転じ,信徳,桃青(芭蕉)ら革新的な人びとと新風を競った。元禄期には雑俳の点者としても活躍,とくに漢和俳諧に才能を発揮した。編著に《俳諧柱立(はしらだて)》《松ばやし》等がある。【乾 裕幸】…

※「斎藤如泉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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