高瀬梅盛(読み)たかせばいせい

精選版 日本国語大辞典 「高瀬梅盛」の意味・読み・例文・類語

たかせ‐ばいせい【高瀬梅盛】

  1. 江戸前期の俳人狂歌師。京都の人。通称太郎兵衛。侘心子と号す。貞徳門。貞門七俳仙の一人。編著口真似草」「鸚鵡集」「捨子集」「山下水」「鼻笛集」(狂歌集)など。生没年未詳だが、「花見車」の記述その他によって元祿一五年(一七〇二)没で享年八四歳と推定される。

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朝日日本歴史人物事典 「高瀬梅盛」の解説

高瀬梅盛

没年:元禄15頃(1702)
生年:元和5(1619)
江戸前期の俳人,狂歌師。通称,太郎兵衛。佗心子とも号し,剃髪して宗入居士。京都二条通西洞院西に住む。松永貞徳七俳仙のひとり。俳諧においては,篤実円満な性格を反映してか,古風を墨守した人であった。「一時檀林世ニ横行ストイヘドモ,師風ヲ改メズ」(『誹家大系図』)と伝えられるが,その姿勢は支持を得て俳壇に隠然たる勢力を有した。編著は『口真似草』『早梅集』『落穂集』など多数。門弟に,伊藤信徳,斎藤如泉らがいた。<参考文献>島居清『高瀬梅盛』(明治書院『俳句講座』2巻)

(楠元六男)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高瀬梅盛」の解説

高瀬梅盛 たかせ-ばいせい

1619-1702? 江戸時代前期の俳人。
元和(げんな)5年生まれ。京都の人。松永貞徳の門人で,貞門七俳仙のひとり。「口真似(くちまね)草」「鸚鵡(おうむ)集」「捨子集」などおおくの撰集を編集。狂歌師としても活動した。元禄(げんろく)15年?死去。84歳?通称は太郎兵衛。別号に佗心子(たしんし)。
【格言など】風に落葉将棊(しょうぎ)だふしぞきんかくじ(「玉海集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高瀬梅盛」の意味・わかりやすい解説

高瀬梅盛
たかせばいせい

[生]?
[没]元禄14(1701)/元禄15(1702)頃
江戸時代前期の俳人,狂歌作者。通称,太郎兵衛。別号,佗心子。法号,宗入居士。貞徳門の七俳仙の一人。貞門,談林,蕉風の時代にわたり,古風を墨守して勢力を保った。編著は,俳諧に『口真似草』 (1656) ,『鸚鵡集』 (58) ,『類船集』 (76) など多数,狂歌に『鼻笛集』 (63) ,『狂遊集』 (69) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高瀬梅盛」の意味・わかりやすい解説

高瀬梅盛
たかせばいせい

梅盛

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世界大百科事典(旧版)内の高瀬梅盛の言及

【狂歌】より

…安土桃山時代の狂歌作者には,南禅寺の住持にまでなった禅僧で《詠百首狂歌》の作者雄長老,当代歌学の権威細川幽斎,碁の名人本因坊算砂,豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゆう)大村由己,狂歌百首をのこした聖護院道増,《醒睡笑》の作者で浄土宗誓願寺の住職安楽庵策伝,公家の烏丸光広らがあり,それぞれの道の第一級の人々が余技として狂歌を楽しんだ。寛永以後は貞門俳人が中心で,松永貞徳,斎藤徳元,半井卜養,池田正式(まさのり),石田未得,高瀬梅盛らにまとまった作品があり,俳諧点取りの奥書に狂歌が応酬されていたりする。《古今夷曲集》の生白庵行風(せいはくあんこうふう)や《鳩の杖集》の豊蔵坊信海(ほうぞうぼうしんかい)になると,俳諧より狂歌に重点が移ってくる。…

【梅盛】より

…江戸前期の俳人。姓は高瀬(たかのせ),通称は太郎兵衛。別号は佗心子(たしんし)。京都の人。初め貞室,重頼に従い,のち貞徳直門となる。貞門七俳仙の一人。温厚篤実な人柄で生涯師風を守り,流行に従わず,1692年(元禄5)刊《貞徳永代記》の著者から〈今京中点者の中の第一の老俳〉だが〈俳諧一道の毒にも薬にもならず〉と評された。著書に《類船(るいせん)集》など。〈月の貌(かほ)やふけてもわかし十八夜〉(《玉海集》)。…

※「高瀬梅盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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