斎藤宇一郎(読み)サイトウ ウイチロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「斎藤宇一郎」の解説

斎藤 宇一郎
サイトウ ウイチロウ


肩書
衆院議員(革新倶楽部)

生年月日
慶応2年5月18日(1866年)

出身地
秋田県由利郡平沢村(現・仁賀保町)

学歴
帝大農科科大学(現・東大農学部)卒

経歴
明治学院教授となるが、志願して近衛歩兵第4連隊に入り、明治27年日清戦争に従軍大尉農商務省林務官を務めた後、32年帰郷、農事改良に尽力。秋田県側の推進する湿田通し苗代と対立しながら乾田馬耕法に成功、コメの生産を大幅に引き上げた。35年から衆院議員当選8回。憲政本党憲政会、革新倶楽部に所属、自由主義政治家として活躍。また帝国農会特別議員、小作制度調査委員、秋田県教育会長を務め、横荘鉄道会社を創設、社長となった。

没年月日
大正15年5月10日

家族
息子=斎藤 憲三(TDK創設者)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「斎藤宇一郎」の解説

斎藤 宇一郎
サイトウ ウイチロウ

明治・大正期の政治家,農事改良家 衆院議員(革新倶楽部)。



生年
慶応2年5月18日(1866年)

没年
大正15(1926)年5月10日

出身地
秋田県由利郡平沢村(現・仁賀保町)

学歴〔年〕
帝大農科科大学(現・東大農学部)卒

経歴
明治学院教授となるが、志願して近衛歩兵第4連隊に入り、明治27年日清戦争に従軍、大尉。農商務省林務官を務めた後、32年帰郷、農事改良に尽力。秋田県側の推進する湿田通し苗代と対立しながら乾田馬耕法に成功、コメの生産を大幅に引き上げた。35年から衆院議員当選8回。憲政本党、憲政会、革新倶楽部に所属、自由主義政治家として活躍。また帝国農会特別議員、小作制度調査委員、秋田県教育会長を務め、横荘鉄道会社を創設、社長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「斎藤宇一郎」の解説

斎藤宇一郎

没年:昭和1.5.10(1926)
生年:慶応2.5.18(1866.6.30)
明治大正期の農事改良家,代議士。父は茂介,母は時尾。秋田県由利郡平沢村(仁賀保町)出身。帝国大学農科大学(東大農学部)を卒業し,明治学院教授(動植物学)となる。日清戦争に従軍後,農商務省に入る。明治32(1899)年帰郷し,以後,乾田馬耕の普及,耕地整理,畜産奨励,実業教育に尽力。35年から大正13(1924)年まで衆院議員として憲政本党,立憲国民党,立憲同志会,憲政会に所属。11年立憲国民党との合同を唱えて憲政会を離脱し革新倶楽部に加わった。政界引退後,平沢町長。3男の憲三は東京電気化学工業(現TDK)の創業者。<参考文献>能登谷幸夫『父と子世紀』,鷲尾義直『斎藤宇一郎君伝』

(柴崎力栄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤宇一郎」の解説

斎藤宇一郎 さいとう-ういちろう

1866-1926 明治-大正時代の政治家,農政家。
慶応2年5月18日生まれ。明治学院教授などをへて郷里の秋田県にかえり,乾田馬耕の普及,畜産奨励につくす。明治35年衆議院議員(当選8回,革新倶楽部(クラブ))。また帝国農会評議員,横荘(おうしょう)鉄道社長などをつとめた。大正15年5月10日死去。61歳。東京農林学校(現東大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「斎藤宇一郎」の解説

斎藤 宇一郎 (さいとう ういちろう)

生年月日:1866年5月18日
大正時代;昭和時代の政治家;農政家。衆議院議員
1926年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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