斎藤義竜(読み)さいとう よしたつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤義竜」の解説

斎藤義竜 さいとう-よしたつ

1527-1561 戦国時代の武将
大永(たいえい)7年生まれ。斎藤道三(どうさん)の子。土岐頼芸(よりなり)の子ともいう。美濃(みの)(岐阜県)稲葉山城(のちの岐阜城)城主。家督争いから弟(道三の実子)を殺し,弘治(こうじ)2年道三を長良川(ながらがわ)河畔で敗死させる。その後,織田信長侵攻をよくふせいだが,永禄(えいろく)4年5月11日病没。35歳。初名は利尚,高政。通称新九郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の斎藤義竜の言及

【斎藤道三】より

…戦国時代の武将。藤原規秀,長井新九郎規秀(のりひで),斎藤左近大夫利政などと名のる。道三は法名。父長井新左衛門尉は,京都の妙覚寺の僧で,還俗して美濃守護土岐氏の家臣長井弥二郎に仕え,西村と名のり土岐家中の混乱に乗じ土岐氏の三奉行の一人にまで出世した。道三は父の死により1533年(天文2)家督をつぎ,翌年長井氏の惣領長井藤左衛門尉景弘を倒した。さらに35年土岐頼芸(よりのり)をかついで,美濃守護土岐次郎頼武追放のクーデタに成功し,美濃国土岐家の実権をにぎった。…

※「斎藤義竜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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