斎藤高行
さいとうたかゆき
(1819―1894)
陸奥(むつ)国(福島県)相馬(そうま)(中村)藩の農政家。二宮尊徳(にのみやそんとく)門下の四天王、相馬藩士斎藤完高(さだたか)の長子、通称粂之助(くめのすけ)、大原・伯順と号した。1840年(天保11)以来、江戸藩邸に勤仕中、45年(弘化2)尊徳の塾に入る。51年(嘉永4)帰藩し、初め富田高慶(とみたたかよし)の指揮のもと、相馬藩に二宮仕法を実施、のち高行が指導の任にあたった。維新後、興復社副社長。『報徳外記』『二宮先生語録』などの著書がある。
[誉田 宏]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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斎藤高行 さいとう-たかゆき
1819-1894 江戸後期-明治時代の農政家。
文政2年10月22日生まれ。陸奥(むつ)中村藩(福島県)藩士。二宮尊徳の高弟。嘉永(かえい)4年から叔父富田高慶(たかよし)をたすけ,中村藩領で報徳仕法を指導した。維新後,興復社,相馬報徳社を設立。「報徳外記」「二宮先生語録」を編集した。明治27年6月12日死去。76歳。通称は粂之助(くめのすけ)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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斎藤 高行 (さいとう たかゆき)
生年月日:1819年10月22日
江戸時代;明治時代の陸奥中村藩士;農政家
1894年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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