日本歴史地名大系 「新坪井町懸」の解説
新坪井町懸
しんつぼいまちがかり
明専寺小史(明専寺蔵)によれば、加藤忠広の頃までは町らしいものはなく、まばらに大小の家が建てられ、その間に坪井村の百姓の田畑が存在していたが、寛永一〇年(一六三三)に六軒の町屋が建てられ、町名を六間町と称するようになったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
明専寺小史(明専寺蔵)によれば、加藤忠広の頃までは町らしいものはなく、まばらに大小の家が建てられ、その間に坪井村の百姓の田畑が存在していたが、寛永一〇年(一六三三)に六軒の町屋が建てられ、町名を六間町と称するようになったという。
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