新市町(読み)しんいちまち

日本歴史地名大系 「新市町」の解説

新市町
しんいちまち

[現在地名]高知市はりまや町二丁目

紺屋こんや町・材木ざいもく町の北に並行する両側町。西は細工さいく町、東は横堀に至る。長宗我部元親の本拠地岡豊おこう(現南国市)にあった新市町を移した町。江戸時代中期の「高知風土記」によると東西一八〇間、南北四六間、家数一一五。町の東端横堀に南新みなみしん町へ渡る新市橋がある。

長宗我部氏時代の新市町は、土佐国一宮高賀茂たかかも大明神社(現土佐神社)で一〇月初旬に行われる千部経法要の縁日町民が市を立てる特権を得ていたといい、高知城下移転後も、その先例によって露天商いする人々から芝銭を徴収していた。

新市町
しんいちちよう

面積:五二・八八平方キロ

北を神石じんせき三和さんわ町、東・南を福山市、西を府中市に囲まれた南北に長い町で、町の中心を北から南に神谷かや川が貫流、南端近くで東流する芦田あしだ川に合する。神谷川の中・下流域は平地であるが、北部および北東部は山地で、きよううえ(六一一・二メートル)蛇円じやえん(五四五・八メートル)などがある。芦田川に沿って県道福山―庄原線、神谷川沿いに県道新市七曲ななまがり西城さいじよう線が通り、また町内を国鉄福塩線が通る。江戸時代から綿の栽培と木綿織が盛んで、幕末には備後絣が生産され、今日もその伝統で繊維工業・被服製造業が盛んである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報