新浜村(読み)しんはまむら

日本歴史地名大系 「新浜村」の解説

新浜村
しんはまむら

[現在地名]松山市港山町みなとやままち石風呂町いしふろまちまつ一―二丁目・東山町ひがしやままち新浜町しんはままち梅津寺町ばいしんじまち高浜町たかはままち一―六丁目・北山町きたやままち春美はるみ町・辰巳たつみ

松山平野の北部の村。西部は太山寺たいさんじ山塊が連亘し、海に迫っているため、海岸に沿って南北に狭長な平地があるにすぎない。東は太山寺村・長戸ながと村、南は古三津ふるみつ村に接する。西と北は伊予灘に面し、海上二キロの興居ごご島に対する。

もと和気わけ郡太山寺村に属していたと伝えられる。


新浜村
しんはまむら

[現在地名]草津市新浜町

南笠みなみがさ村の西に位置し、おおかみ川河口付近の琵琶湖岸の新田村。延宝八年(一六八〇)大萱おおがや(現大津市)の新開分が膳所藩検地を受け独立したという。同年の高二四九石余、田一九一石余・一七町四反余、畑屋敷五七石余・九町四反余(膳所藩明細帳)。天明村高帳では高二七四石余。膳所藩領として推移したが、天保二年(一八三一)から七年は幕府領であった(膳所領郡方日記)。文化九年(一八一二)免状(伊庭文書)では免八ツ、葭運上があった。天明六年(一七八六)宗門改帳(同文書)によれば、家数三九・人数一八一、牛一〇・馬三。安永九年(一七八〇)狼川の河原をめぐって南笠村と大萱村・当村の相論があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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