新田塚(読み)につたづか

日本歴史地名大系 「新田塚」の解説

新田塚
につたづか

[現在地名]福井市新田塚町

三国みくに街道の東側、旧福万ふくまん村域の北部、灯明寺とうみようじとの境に位置する。この地は通称を灯明寺畷とうみようじなわてと称し、新田義貞が戦死した所と伝える。「太平記」巻二〇によれば、延元三年(一三三八)閏七月二日、新田義貞は北朝の斯波高経方の拠る足羽あすわ七城の一、藤島ふじしま城を攻撃すべく手兵五〇騎余を従えて灯明寺前から畔を伝って藤島城に向かう途中、高経方の部将細川氏らの率いる三〇〇余騎と遭遇し、合戦となった。「太平記」は次のように記す。

<資料は省略されています>

明暦三年(一六五七)福万村の嘉兵衛がここの田中から古かぶとを掘出し、苧桶に使用していたところ、福井藩の軍学者井原番右衛門が目にして貰い受け、磨いたところ、三十番神号と裏面に「元応元年八月相模国」の沈刻銘文が現れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新田塚の言及

【藤島神社】より

…1338年(延元3∥暦応1)義貞は北朝方の斯波高経と戦い,越前藤島で戦死した(藤島の戦)。1870年(明治3)福井藩知事松平茂昭は,新田塚と呼ばれていた義貞戦死の地に祠を建てたが,76年にその社名が藤島神社と定められ,別格官幣社に列せられた。81年に近くに移転したが,1901年に足羽(あすわ)山の中腹に移された。…

※「新田塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android