日本歴史地名大系 「新田塚」の解説
新田塚
につたづか
明暦三年(一六五七)福万村の嘉兵衛がここの田中から古かぶとを掘出し、苧桶に使用していたところ、福井藩の軍学者井原番右衛門が目にして貰い受け、磨いたところ、三十番神号と裏面に「元応元年八月相模国」の沈刻銘文が現れた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
明暦三年(一六五七)福万村の嘉兵衛がここの田中から古かぶとを掘出し、苧桶に使用していたところ、福井藩の軍学者井原番右衛門が目にして貰い受け、磨いたところ、三十番神号と裏面に「元応元年八月相模国」の沈刻銘文が現れた。
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…1338年(延元3∥暦応1)義貞は北朝方の斯波高経と戦い,越前藤島で戦死した(藤島の戦)。1870年(明治3)福井藩知事松平茂昭は,新田塚と呼ばれていた義貞戦死の地に祠を建てたが,76年にその社名が藤島神社と定められ,別格官幣社に列せられた。81年に近くに移転したが,1901年に足羽(あすわ)山の中腹に移された。…
※「新田塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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