朝日日本歴史人物事典 「新田邦光」の解説
新田邦光
生年:文政12.12.5(1829.12.30)
幕末明治期の神道家,神道修成派の教祖。阿波国(徳島県)美馬郡生まれ。先祖は新田(脇屋)義助と伝えられる。幼時よりきわめて聡明であり,7歳で論語を読んだという伝えがある。「我国は神国たり,民は神孫たり」との考えを抱き,神道を盛んにして人民を教導しようという志を立てる。明治1(1868)年に神祇官御用掛となるが,同年,飛騨国(岐阜県)取り締まりに当たった際,一時忍藩に幽閉され,以後,宗教活動に専念。同5年に教導職。翌年8月,門人を集めて神儒習合の修成講社を組織。同9年には,これが神道修成派として一派独立,その初代管長に就任した。<著作>『教道大意』『回天策用行録』『軍備将略』<参考文献>井上順孝『教派神道の形成』
(井上順孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報