新長者原村(読み)しんちようじやばるむら

日本歴史地名大系 「新長者原村」の解説

新長者原村
しんちようじやばるむら

[現在地名]粕屋町長者原

若杉わかすぎ山の北西に位置し、東は大隈おおくま村。中原なかばる村の枝村(元禄国絵図・天保郷帳)。延元元年(一三三六)三月一〇日、仁木義長は「多々良浜・長者原二ケ所」における河津五郎の戦功に対し感状を発給している(「仁木義長感状」河津伝記)。貞治元年(一三六二)当地で菊池武光の軍(南朝方)と九州探題斯波氏経・少弐冬資の軍(北朝方)が合戦に及んだ(正平一七年一〇月二六日「征西将軍令旨案」松浦文書・同年一一月二五日「安富泰重軍忠状」深江文書/南北朝遺文(九州編)四)


新長者原村
しんちようじやはらむら

[現在地名]上越市長者ちようじや

本長者原もとちようじやはら村の南、別所べつしよ川の右岸に位置する。正保国絵図に村名がみえるが、高は不記載。延宝七年(一六七九)越州四郡高帳によると高二二一石二斗余。天和三年郷帳によると新田分を含め三九九石五斗余。同年の検地帳(「三郷村誌」所引)にみえる地名のうち、吉原沢田・どぶ・やち・はし田などは川の氾濫・沼沢地を、みひろ割は割地制度の名残を、海道端は街道を、八石野・四石野境は田の収穫高を、天神・天神田は神社とのかかわりを物語る地名である。当地には初め神明社(所在地は布と諏訪神社(所在地は狐塚)の二社があったが、明治四〇年(一九〇七)神明社に諏訪神社を合祀し、神明諏訪神社とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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