方上荘(読み)かたかみのしょう

百科事典マイペディア 「方上荘」の意味・わかりやすい解説

方上荘【かたかみのしょう】

福井県鯖江(さばえ)市北東部,旧片上(かたかみ)村を荘域とした荘園。951年の越前国足羽郡庁牒の連署に〈検校(けんぎょう)方上御庄惣別当生江〉とみえるのが早い。《中右記》寛治8年(1094)3月11日条には殿下渡領(でんかのわたりりょう)の一つとして荘名がみえる。仁安2年(1167)以前の某申状(《兵範記》裏文書)によれば,当荘の加納寄人(よりうど)が停廃されたとき,本田100町を不輸(ふゆ)の荘とし,勅事国役が停止された。これは国領を兼作する田堵(たと)がその威を借りて所当官物を未進したためで,4ヵ寺仏聖ならびに南京唯識料米などが欠如するという状況となっていた。在地の安楽寺文書によれば,荘内に藤原氏の氏神春日社と神宮寺とみられる般若寺が建立されていた。

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改訂新版 世界大百科事典 「方上荘」の意味・わかりやすい解説

方上荘 (かたかみのしょう)

福井県鯖江市北東部,旧片上村を荘域とする荘園。天暦5年(951)10月23日付の越前国足羽郡庁牒(東南院文書)の連署のうちに〈検校方上御庄惣別当生江(草名)〉とみえるのが最も早い。《中右記》嘉保1年(10 94)3月11日条には,摂関家渡領の一として荘名がみえる。《兵範記》仁安2年(1167)10,11月巻裏の某書状によると,かつて本田100町をもって不輸荘とし,勅事,国役を停止すべしとの国司庁宣が下ったが,田堵らが国領兼作の威を募って所当を弁済せず,4ヵ寺仏餉ならびに南京唯識料米などが欠如するありさまであった。在地の安楽寺文書によると,南北朝期後半の永和3年(1377)5月15日了意譲状に〈永代譲渡方上荘春日宮社司職の事〉,至徳1年(1384)1月11日付助当寄進状に〈寄進したてまつる,方上荘般若寺田畠山林等の事〉とみえ,荘内には藤原氏の氏神春日社とその神宮寺般若寺が建立されたことが知られる。
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世界大百科事典(旧版)内の方上荘の言及

【摂関家渡領】より

…渡領とは,特定の地位に付随して渡り伝えられる所領をいい,平安中期には天皇に代々伝えられる後院渡領が成立しており,そのほか太政官の官務渡領や局務渡領などもあるが,史上とくに有名なものは藤原摂関家の渡領である。藤原氏長者の渡領については,1017年(寛仁1)道長が頼通に氏長者を譲ったときの寛仁の渡文が存したことを示す記録があり,当時すでに大和国佐保殿,備前国鹿田荘,越前国方上荘,河内国楠葉牧の4ヵ所から成る渡領が成立していたことがわかる。その後この渡文は,〈荘々送文〉とか〈荘園渡文〉とよばれ,氏長者の交替ごとに,朱器台盤などとともに新長者に渡された。…

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