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日印 ニチイン

4件 の用語解説(日印の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

にち‐いん【日印】

日本とインド。「日印関係」

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日印 にちいん

1264-1329* 鎌倉時代の僧。
文永元年生まれ。日蓮宗。はじめ天台宗に属したが,鎌倉で日朗の講義をきいて改宗。青蓮華寺(のちの本成寺)を越後(えちご)(新潟県)に,本勝寺を鎌倉にひらく。のち日朗門流から別立した。嘉暦(かりゃく)3年12月20日死去。65歳。越後出身。俗姓は朝倉。通称は摩訶一阿闍梨(まかいちあじゃり)。著作に「奉造立供養本尊日記」「本成寺置文」など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

日印

没年:嘉暦3.12.20(1329.1.20)
生年:文永1(1264)
鎌倉後期の日蓮宗の僧。日朗門家から分立して巡教に専心した。越後(新潟県)に生まれ,初め天台僧であったが,鎌倉で日朗の『摩訶止観』第一の講述を聴いて改宗入門し日印と名乗る。永仁6(1298)年,越後に青蓮華寺(のち本成寺)を開創。天台,真言僧を帰伏させて日順,日暹と改めさせ,日順は黒瀬本法寺,日暹は氷見蓮成寺を建立した。日印は日朗没後,鎌倉に本勝寺を開く一方,元亨1(1321)年の日蓮の忌日十月十三日逮夜(忌日の前夜)の仏事を独自に執行して別立を示した。以後,本勝寺を弟子日静に譲り越後本成寺に帰還。晩年は会津妙蓮寺に隠棲,入滅。

(佐々木馨)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日印
にちいん
(1264―1328)

鎌倉時代の日蓮(にちれん)宗の僧で、越後(えちご)(新潟県)本成(ほんじょう)寺の開山。越後国の人。もと天台宗に属していたが、1294年(永仁2)鎌倉で日朗(にちろう)の『摩訶止観(まかしかん)』第一の講義を聞いて改宗し、日印と名を改め摩訶一阿闍梨(あじゃり)と号した。蒲原(かんばら)郡に本成寺を創建したのをはじめ、北陸地方で伝道活動を展開する。のちに日朗門流から離れて別立し、本成寺をその本寺と定め、会津(福島県)に退隠して65歳で没した。[中尾 尭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の日印の言及

【日静】より

…俗姓は上杉氏,妙竜院と号する。駿河本覚寺日位について出家,のち摩訶一房日印に師事した。師日印は日朗(にちろう)没後,鎌倉に本勝寺を建てたが,これを日静に付して越後に帰り,1328年(嘉暦3)その死に臨んで,さらに越後本成寺を付属した。…

※「日印」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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