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日朗 にちろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日朗
にちろう

[生]寛元3(1245)頃.下総
[没]元応2(1320).武蔵
鎌倉時代の日蓮宗の僧,六老僧の一人。 12歳で日蓮の弟子となった。日蓮の没後身延山に正法院を営み,池上本門寺にある後の照栄院で没した。主著『本迹見聞』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日朗 にちろう

1245-1320 鎌倉時代の僧。
寛元3年4月8日生まれ。日蓮門下六老僧のひとり。日朗門流の祖。はやくから日蓮に師事し,文永8年迫害をうけて投獄された。鎌倉妙本寺,武蔵(むさし)池上(東京都)本門寺,下総(しもうさ)平賀(千葉県)本土寺を拠点として関東に布教を展開した。元応2年1月21日死去。76歳。下総野手(千葉県)出身。俗姓は平賀。字(あざな)は大国。通称は大国阿闍梨(あじゃり),筑後房。号は正法院。著作に「本迹(ほんじゃく)見聞」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

日朗

没年:元応2.1.21(1320.3.1)
生年:寛元3.4.8(1245.5.5)
鎌倉後期の日蓮宗の僧。筑後房,大国阿闍梨とも呼ばれた。若くして日蓮門下に投じ,以後常に日蓮に付きそった。文永8(1271)年の日蓮佐渡流罪の際には,鎌倉幕府によって鎌倉の土牢につながれた。その身の上を案じて送られた日蓮からの書簡(土籠御書)が現存している。六老僧のひとり。鎌倉比企谷に妙本寺を建立,関東日蓮門流の中心としての位置を占めた。また日蓮七年忌の正応1(1288)年ごろ,日蓮終焉の地の武蔵国(東京)池上に日蓮御影堂を造立した(池上本門寺)。<参考文献>高木豊『日蓮とその門弟』

(佐藤弘夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

にちろう【日朗】

1245‐1320(寛元3‐元応2)
鎌倉時代の日蓮宗の僧。日蓮の直弟。下総国野手(千葉県)に生まれ,平賀氏の出身と伝える。1254年(建長6)10歳で日蓮の弟子となり,筑後房,のちに大国阿闍梨(あじやり)と称した。1271年(文永8)の日蓮とその門弟への弾圧のおりには逮捕禁錮された。82年(弘安5)日蓮は本弟子として6人(六老僧)を指定したが,日朗もその一人に加えられた。日蓮の信奉者であった武蔵池上の池上氏と親しく,日蓮は池上氏の館で没したが,この地にやがて本門寺が創建され,日朗はこれを主管して,鎌倉比企谷(ひきがやつ)の妙本寺とともに,東国に師の教えを広める拠点とした。

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大辞林 第三版の解説

にちろう【日朗】

1243~1320) 鎌倉時代の日蓮宗の僧。六老僧の一人。号は筑後房。通称、大国阿闍梨。下総しもうさの人。日蓮の死後、池上の本門寺、鎌倉の妙本寺を中心に教勢拡大。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日朗
にちろう
(1245―1320)

鎌倉時代の日蓮(にちれん)宗の僧。日蓮六老僧の第二位。筑後房(ちくごぼう)、筑後殿とよばれ、大国阿闍梨(だいこくあじゃり)と称される。下総(しもうさ)(千葉県)能手(ので)の人。叔父日昭の縁で1254年(建長6)入門、以後師のもとを離れないで給仕し、日蓮佐渡(さど)配流のときは鎌倉長谷(はせ)の土牢(つちろう)(いまの光則(こうそく)寺)に投獄された。師孝第一と称される。日蓮身延(みのぶ)入山後は長老の日昭とともに鎌倉にとどまって松葉谷(まつばがやつ)の草庵(そうあん)を管掌し、また鎌倉比企谷(ひきがやつ)に妙本寺、武蔵(むさし)国(東京都)池上に本門寺を創立した。また、平賀(ひらが)(千葉県松戸市)の本土(ほんど)寺の開山に迎えられたが、自らは行かず、弟子の日伝を赴かせた。弟子の教育に努めて多くの人材(朗門の九鳳(くほう))を輩出したが、なかでも日像(にちぞう)は日蓮門下として初めて京都へ進出した。教団の護持、発展に尽くした功績は六老中第一。『五時系図』『玄旨御本尊添状(げんしごほんぞんそえじょう)』などの著作がある。[浅井円道]

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367日誕生日大事典の解説

日朗 (にちろう)

生年月日:1245年4月8日
鎌倉時代後期の日蓮宗の僧
1320年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の日朗の言及

【本門寺】より

…おそらく,池上氏の館内にあった法華堂を,日蓮示寂の場として寺院化していったものと考えられる。日蓮の直弟日朗も池上氏と親しく,日蓮の七年忌のころには別当と称しているところからすれば,この堂宇の主管者であったであろう。一方,日朗は,鎌倉比企谷(ひきがやつ)の房舎を寺院化した長興山妙本寺に在住,これを弘通(ぐつう)と門弟育成の拠点としたので,本門・妙本両寺を主管したことになり,日朗以後も両寺一貫首(かんず)(住持)制がとられて近世にいたる。…

※「日朗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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