日本歴史地名大系 「日土村」の解説
日土村
ひづちむら
- 愛媛県:八幡浜市
- 日土村
太閤検地の石高は一千二二二石四斗四升、耕地面積の比率は田二九パーセント、畑七一パーセントであったが、寛文検地では石高が一・四倍に増加し、耕地の比率は田一六パーセント、畑八四パーセントに大きく変化した。畑の開発が進行したためである。鬮持制実施期の百姓数は三三〇人、うち本百姓一七二人、半百姓一一一人、四半百姓四六人、庄屋一人に分れていた(墅截)。宝永三年(一七〇六)の戸数三七六、人口二千一七八、宝暦七年(一七五七)の戸数五八一、人口二千七四四であった(大成郡録)。
日土村は大村で、村内は一二組に分けられていた。貞享元年(一六八四)の「墅截」は次のように記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報