日比原村(読み)ひびわらむら

日本歴史地名大系 「日比原村」の解説

日比原村
ひびわらむら

[現在地名]香北町日比原

物部ものべ川の支流日比原川を一キロほどさかのぼった西岸にあり、日比原川を挟んで北東猪野々いのの村、上流北西方柚木ゆのき村、南に清爪せいづめ村がある。標高二〇〇メートル内外の山腹斜面にある小村。天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳は「自是日比原名先高三百名ト有」として、一〇筆一町四〇代(田分五反余、残り山畠屋敷)すべてを「日比原名 の中三良左衛門扣」と記す。名本屋敷一反三〇代もあり、下山畠・下々田などのうち半分は名本持、半分は南持とある。南氏は朴木ほおのき村で「南ノ土ゐ」「南分」を支配していた人物かまたはその同族であろう。

元禄地払帳によると本田高一〇・八石、うち五石は大庭市之進の知行地、残る五石余が蔵入地。


日比原村
ひびはらむら

[現在地名]宍喰町日比原

久保くぼ村の西に位置し、南を宍喰川が東流する。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「日比原村」と記される。正保国絵図では「宍喰之内 日比原村」とあり、「ひゝハら」の訓を付す。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では宍喰浦の枝村としてみえる。同一二年の検地帳(海部郡誌)では田一七町六反余・高二五七石余、畠二町二反余・高一三石余。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳では高二七二石余。「阿波志」によれば、高二九四石余、家数四四・人数一六二。また地内に天狗石・井神淵、正福しようふく(現高野山真言宗)西方さいほう寺があると記される。文化九年(一八一二)の棟付帳(宍喰町誌)では家数六一のうち無役人一・百姓三五・見懸人六・部屋五など、人数一三七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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