日本歴史地名大系 「日裏村」の解説 日裏村ひうらむら 奈良県:吉野郡東吉野村日裏村[現在地名]東吉野村大字日裏高見(たかみ)川の支流日裏川上流域の村。「日浦村」(寛文朱印留、大和志)とも書かれた。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「ヲカワ」の注を付して「日ウラ 下司チワラ次郎三郎家数四五間 天文十六年丁未後七月廿日」とある。戦国期には、日ウラ(日裏)には小川氏の支配が及んでいたと考えられ、興福寺大乗院領になっていたと推測される。下司には現日裏内の小字千原(ちはら)の在地武士と考えられる次郎三郎が任ぜられていた。 日裏村ひうらむら 奈良県:吉野郡西吉野村日裏村[現在地名]西吉野村大字西日裏(にしひうら)宗(むね)川の上流にある。宗川(むねかわ)郷のうち。慶長郷帳では村高八一・九八五石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地で村高は増えるが、迫(せい)村の分村により、元禄郷帳では村高九五・五五九石となっている。 日裏村ひうらむら 奈良県:吉野郡天川村日裏村[現在地名]天川村大字南日裏(みなみひうら)天(てん)ノ川右岸、坪(つぼ)ノ内(うち)村の対岸に立地。天川郷のうち。慶長郷帳では村高八八・八九五石、幕府領(代官大久保長安)、のち延宝検地により村高は一二〇・六四四石となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by